このままサラリーマンで人生終わっていいのかどうか考えてしまったあなた、今こそ自分のダイレクション、方向性を考えるチャンスです。あなたのためのダイレクションアドバイザー、 ユキーナ ・サントスです。

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昨日から人生の区切り、転機について考えてみます。言い換えるならば、この先の自分の人生のあり方です。私が尊敬するビジネスマン、京セラの創設者、稲盛氏は65歳で得度されました。今回は、宗教の意味について考えます。

宗教には信仰を求めるという面と、心のあり方を解くという2つの側面を持っているのです。そのうち心の在り方を学びたいと思っています。なぜなら、私はかねてから自分の人生の目的、意義は心の純化と浄化だと申し上げています。ですから、どうしても心というものを探求してみたい、心というものをもっと知りたいと思うものですから、その心を最も取り上げて心というものを研究するのが禅宗という宗教ですから、私は禅宗を勉強してみたいと思ったわけです。

1つの国や世界を動かす政治や経済も、その根源は人の心が動かしているわけです。私も稲盛氏と同じように自分の心の浄化と心の勉強を続けたいと思っています。

 

例えば、今イタリアのファミリービジネス研修ツアーをコーディネートするために、イタリアにいます。現地に住んでる日本人の方と昨日会って話しました。

イタリアの1部の優秀なイタリア人は本当に勤勉だ。それでも大部分のイタリア人はそうでは無い。いかに一生懸命働いてるように見せかけて、働かないようにして多くのお金をもらうか、みんなこのことだけを考えている。彼女とこのような話をしました。

私もこれが本当だと思います。住んでいた時はこれがほんとに嫌でした。けれども今はこのように思うのです。イタリアの社会は利己主義と利他精神の振り子ではないかと。このように思うのです。究極のエゴイズムと、無条件の自己犠牲が同時に存在してると思うのです。

 

会社のことも考えない、自分の責任を考えない、自分のことだけ考える、これがイタリア人だと言いました。このベースは究極のエゴイズムです。人々はとことん利己的に動きます。

 

けれどもこれは同時に、自己否定もつながるのです。人は誰かのために働いて、人から感謝され、自分の存在意義を実感します。コンビニでものを売るだけでも、ありがとう、助かりましたと言われれば、人は自分の存在を感じて、エネルギーが満たされます。けれども、イタリアの労働は、この意味で本当の労働では無いのです。いかに働かないようにするか、これがポイントですから、人から感謝されることもありません。むしろ迷惑だと思われるかもしれません。自分の時間とエネルギーをそこに割いていても、存在を認められることがないのです。

そうすると、人は無意識のうちに自分の存在意義を求めようとします。自分がやったことで感謝されたい。自分がここにいてもいいんだという証が欲しい。あるいは無条件で何かに愛情を注ぎたいという衝動に駆られるかもしれません。

ここから有名な、イタリアのマンマが出てくるわけです。イタリアのママは過保護になります。娘や息子に無条件で愛情を注ぎ甘やかしていきます。基本的に人を信じない人たちですから、肉親に対する愛情が限りなく強くなります。これも1つの利他です。あまりにも過剰な利己主義に囲まれていると、無意識のうちに利他を求めるのだと思います。

これも稲盛氏がいうある意味の本能の部分ではないかと思います。このように考えると、人の心がわかると周りの状況に対処しやすくなります。利己だけではない、利他の心もあると思うと、自分の立ち位置がより明確になるのではないでしょうか?自分がどのような関わり方をすればいいか、より明らかになるのではないでしょうか?

 

その後稲盛氏は、科学の発展についても考えていらっしゃいます。欲望と言うものがきっかけとなって、欲望を満たすためにサイエンス、科学が発展するわけです。つまり今のサイエンスのもとになるのはすべて人間の欲望を満たすためのものだったのです。

 

世の中のことは全てこうだと思います。どういうことかというと、100% 善なるものと100%悪なるもの、はないということです。善の中に悪があり、そして人間が取るある行動の、その意図は欲望であったとしても、サイエンスの発展は、人間に多くの喜びをもたらしているわけです。

「ところが遺伝子そのものというのは、実は大変利己的な欲望の塊わけです。つまり、現在の遺伝子を研究していらっしゃる方々がその利己的遺伝子、それが存在することが人類が生存しているその原因だとこう言われておる位であります」そこから、利己と利他の話をされておられます。

「つまり、私は自分自身の人生のこの後半、死を迎えるにあたっては少しでも自分の利己を抑え、利他が多く出てきて人様のために尽くせるような自分になりたいと思ったのです。そのように言うと実にきれいごとのように見えますけれど、そうすることが本当に心の純化、浄化につながるだろうと思うのです。・・私が師事する老師にこのようなお話をしましたら、今度は経済人ではなくて、禅宗のお坊さんの1人として宗教界の声も代表してぜひ国や社会を良くするように努力をしてほしいと言われました」

意味の深い言葉だと思います。私も稲盛氏のこの姿勢を目指して、自分に与えられたものを私のものとせず、世のために宇宙のために尽くせるように頑張りたいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。