こんにちは、
さて、先日は、合気道の先生の家に遊びに行きました。
先生の誕生日が7月6日でした。
一日遅れましたが、七夕にお誕生日のお祝いをさせていただきました。
沖縄は5月末に緊急事態となり、合気道の稽古は全面中止です。
それ以来なかなか先生にお会いする機会もありませんでした。
同じ門下生の中に、日本舞踊の先生をされている方がいらっしゃいます。
こちらの尾上貴保先生です。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100005531492012
「貴保さん、一緒に着物を着て、先生のお祝いにいきましょう!」とお誘いしました。
「あら素敵」とおっしゃって、一昨日のサプライズ誕生会となりました。
私は、早めに貴保先生のところに伺い、着物を着付けていただきました。
私は、華道の新年会や、外国の方がたくさん集まるパーティー、海外でも頻繁に着物を着ています。けれども、着付けを専門的に習ったことがありません。
いつも、こんな感じでいいんだろうか?で着物を着ていました。
そして後から自分の写真を見て、
「チッ、いけてないな!!」と思っていたわけです。
今回、貴保先生にしっかり習って、自分のどこがどういけてなかったのか、よくよく分かりました。
ちなみに、先生に着付けていただいた着物はこちらです。
https://www.facebook.com/1004733802/posts/10223955483247327/?d=n
今回、学んだこと、それは
「物事は、なんでも『本当のプロ』に習わなければならない。」
これです。
ゴルフやテニスなどのスポーツ、
資格試験の勉強、
企業の経営や仕事術、
皆さんがこの先、技術やスキルなどを身に付けようと、興味を持たれている事はたくさんあると思います。
それでも、〇〇を始めようかな、と思ったら、誰に習うか?
最初からプロに習った方が良い、これが私の結論です。
なぜか?その主な理由は次の4つです。
1 誰のためか?目的と意義が違う
2 細部に神が宿っている。神がかっている。
3 人間との一体感がある。
4 道か術か? 哲学があり、自分の人生に役立つ
1つずつ解説しますね。
1 誰のためか?目的と意義
着物の着付けを習うのであれば、着付けの先生でいいわけです。
着付けの免状などを持っている先生もたくさんいらっしゃると思います。
あるいは茶道や華道など、頻繁に着物を着られる方もいらっしゃると思います。
仮に着付けの先生に習うとします。
そうすると、着物の着付けとは、「着付けること」が目的になるわけです。
きれいに着れているか、
見た目がどうか、
着物を着て活動して着崩れしないか?
このようなことがポイントになります。
一方、貴保先生の場合、日本舞踊という1つの芸術表現をされています。
ご自身が体得された、技術・内面を表現するという目的もあります。
けれどもさらに踏み込んだ目標があります。
このような芸術で、ご覧になっている観客の方に、感動を伝えるという目的です。
目的としては、「着つける」より、後者の方がより深く複雑だと思います。
観客に感動を与えるとなると、目指してるところが高いわけです。
ですので、着物を着ることへの姿勢が違ってくるのではないか、と思いました。
今回、ベース(基本)がいかに大切かを貴保先生から教わりました。
これはあらゆる習い事、芸事、仕事でも同じではないかと思います。
最終的な目的が違うと、その基本への取り組みも違ってきます。
基本をおろそかにする人に、その先の進歩発展はないと思います。
私は、本業の不動産でも、基本的な確認がほんとに大切なんだよなぁ、と思います。
基本の積み上げ方、基本の考え方、これも目的が違うと、「捉え方」や「心の入れ方」が違ってきます。
プロの姿勢は、一見の価値があると思います。
2 細部に神が宿っている。神がかっている。
着物を着て最後に帯を結ぶと、帯締め・帯揚げをします。
私はいつも、この二つが、なかなかうまくいかないのです。
今回、貴保先生にご指導いただいて、
「帯揚げの結び目に、これほど神経を割いて集中するのか!!」と驚きました。
職人技などには、細部に神が宿ると言われます。
私が尊敬する、京セラの名誉会長、稲盛氏は、「手の切れるような製品を作る」とおっしゃっています。
それは、細かいところまで、神経(気)を絶やさない、全神経をそのような細部にも流す、という姿勢だと思います。
これは、口で言うのは簡単です。
けれども実践するのはなかなか難しいです。
こういう神業的なところがわかるのも、プロだからこそだと思います。
逆に言うと、神様が宿っているような細部、
これを教えてくれるプロに習うのが、「上達」や、「成功」への1番の近道かと思います。
3 人間との一体感 (着物に着られない)
これも表現するのが難しい内容です。
よく、洋服に「着られている」人がいます。
一張羅(いっちょうら)を着て、緊張している状態と言いましょうか?
ブランド物のよそ行きや、借り物などを着ている場合です。
着ている本人の神経が自分の周りを覆っている服に集中してしまうわけです。
そして本人の「心ここにあらず」という状態になります。
私は、私達が身に付ける服とは、「人間の個性を引き出す、表現の1つ」であると思います。
けれども、服に着られてしまうと、主従が逆転するのです。
貴保先生の着付けでは、着物と私との一体感がありました。
体型補正も思ったほどやりませんでした。
自分の頭の中では、「こうあるべき論」が強すぎるほどあります。
ですので、着物と一体となって美しい形を作っていく、これに頭が及ばなかったのです。
これもやはり、着物と自分とが一体になった方だけがわかる感覚ではないでしょうか?
こういう感覚を持ってるのも、プロならではだと思います。
4 道か術か? 哲学があるか?
いろいろと、小難しく表現しましたが、要するに、「着付け術」なのか「着付け道」なのか、この違いだと思います。
「術」はいわゆるテクニックです。
目的も、表面的な目的です。
「見た目が良ければいい」という表面的な目的になりかねません。
着付けについて色々と学ばれて極められていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
私のこのような表現で、不快に思われたら申し訳ありません。
一方、「道」は、哲学です。人生です。
人間がどう生きたらいいのか、
幸せとは何か、
この世に存在するとはどういうことか、
ここを突き詰めて考えます。
それを日常の我々の行動に落とし込んだもの、それが道だと思います。
その意味では、貴保先生の着付けは、まさに「道」(着付け道)でした。
なるほど、奥が深いな、とたくさんのことを学んだわけです。
さて、まとめますと、プロとアマの違いは次のようなところです。
1 誰のためか?目的と意義が違う
2 細部に神が宿っている。神がかっている。
3 人間との一体感がある。
4 道か術か? 哲学があり、自分の人生に役立つ
この先は人生100年と言われています。
私と同世代の方も、ビジネスでバリバリ活動されてる方がアート(芸術)を学ばれたりしています。
それも、この先のご自身の人生をいかに豊かに生きるのか?
これを考えられてのことだと思います。
この先、何かお稽古事やスキルを身に付けていくとしたら、最も効率が良いのはプロに学ぶことではないでしょうか?
貴保先生は、東京でも公演をされているようです。お願いすれば、着付けも教えてくれるかもしれません。
というか、沖縄で着付けを習うガッツがある方がいらっしゃれば、
私が着付け教室を企画しましょう。お気軽にお問合せください。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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