なんだか毎日イライラする、座禅のワークショップ行ってみようかな…と思ったあなた、あなた自身との向き合い方、じっくりサポートします、心に寄り添うカウンセラー、ユキーナ ・サントスこと富塚祐子です。

今日は、静禅と言われる座禅や瞑想(英語ではMeditationと言います)と動禅と言われる合気道、それと私が皆様にさせていただいている潜在意識の書き換えについてのお話です。

私も、今日合気道の稽古に行ってびっくりしました。実はそういうことだったんです。

どういうことかと言うと、潜在意識を書き換えて、自分自身と向き合う、これは座禅や瞑想(静禅)と相手があっての合気道(動禅)と実は全く同じことだったのです。

 

いやー、これに気づいて目から鱗でした。

なんのこっちゃ、さっぱりわからない方もいらっしゃると思うので、なるべくわかりやすく説明していきたいと思います。

座禅は静禅、静かな禅と書きます。これに対して合気道は動禅、動く禅と書きます。

まず、この2つがどうつながっているのか、お話ししたいと思います。

ビルゲイツやスティーブ・ジョブズなど、アメリカの大成功したビジネスマンが、禅や瞑想をやる、というのは皆さんもご存知だと思います。

座禅や瞑想は、「静中の工夫」と言われているようですね。私も座禅をしたことがなく、こんなことをいう資格は無いかと思っています。

けれども、ここを解釈してみると、座禅をするという事は、静かに心を落ち着けて座り、自分の内に湧いてくる、あらゆる雑念や思いをどう対処すれば良いのか、その工夫をしていくこと、こう言っているのではないかと思います。

そのために、思いや感情、雑念を追い払おう、追い払おうとするのではなく、その思いの奥深くを掘ってみる、これも工夫の1つではないかと思います。

何故かというと、こうした人間の思いや感情の奥には、潜在意識や深層意識などがあります。そこに目を向けていく、それを顕在意識に上げていく、これだけでも静かな中に自分を知るという工夫がなされていると思います。

難しく書いてしまいましたが、私が普段クライアント様と一緒にやっている、ブロック解消のためのカウンセリングとは、まさにこのようなことです。

つまり、座禅・瞑想= ブロック解消・潜在意識の書き換え なのです。

日常起きている出来事に目を向け、その時のクライアント様の思いや感情にフォーカスしていきます。そして、その奥にある潜在意識に、どのような意識があるのか、これを見ていくわけです。

これを見ていくことによって、自分は心の奥底ではこのように思っていたのだ、感じていたのだ、と言うことをクライアント様自身がご自身で気づくという体験をします。

 

例えば、山ほど仕事を抱えて、残業や休日出勤をたくさんして、眉間にしわを寄せて働いている人がいたとします。この方の内側を掘っていくと、「他人から認められたい私がこれだけ頑張っているのを認めて欲しい」と言う思いが出てきます。

その潜在意識にあるのは、「私は認められない私はわかってもらえない」という思いです。

ですから、自分自身でこの想いを見てあげる、このときの悲しみや苦しさなど感情を解放してあげることで、自分自身が自分と向き合って自分を認める、理解するわけです。

そうすることで、自分で自分を理解することになりますので、潜在意識が書き変わり、人生が生きやすくなる、このような現実が起こってきます。

これが静かな中に工夫がある、と言う意味ではないかと思います。

いろいろやって、悟ったようなふりをして、座禅や瞑想をしてみても、自分の周りの人間関係や目の前にいる人間をどうしていいかわからない、振り回されることがあるだろ?だから動禅が必要になるのだよ

合気道の山口先生は、このようにおっしゃいます。

崇高なこと、自分が悟ったかのように思って、俗なる人間を見下して見ても、自分の人生は、毎日このような俗の人に振り回されているじゃないか?

山口先生のこの言葉に、はっとさせられます。

畳の上で、座禅や瞑想を取り入れたとしても、その本当のところ、自分自身を見つめていく、これができていないと、日常のあらゆることに振り回されてしまうのではないかと思います

合気道はその意味で、まさに動く禅、実践できる禅なのだと思います。

相手が私の手をつかんだとします。私はここからいくら逃れようとしても、相手は余計に強く私の手首を握り、なかなか自由にさせてくれません。

こんな時にふと考えます。

私は、こんなことを言いたいのではないか?
「私を痛め付けないでほしい、

私は価値のある人間だから、認めてほしい、

私を無視しないでほしい、

私に恐怖を与えないでほしい。。。」

こんな思いが、次から次へと出てきます。

そして、ブロック解消のセッションと同じように自分の中を掘ってみると、

自分を痛めつけようとしている人
自分を苦しめようとしている人
自分を認めていない人
それが全て、私自身だということに気づくのです。

他の誰でもない、私が、私自身を認めていないのだと気づくのです。

世の中の人のほとんどが、このように思っているとしたら、目の前にいる相手も、やはり私と同じように、自分自身に捉えられて苦しんでいるのかもしれません。

そう考えると、相手と自分の垣根が限りなくなくなっていきます。

自分の中にある不安が血液の中に溶け出して、これが自分の体の中を回り、汗や空気になって、私と相手の接点である手首から相手の体の中に入り、相手の血液の中を通してクルクルまわります。そしてまた相手の手のひらから自分の中に戻ってくるようです。

こんな状況になると、自分と相手が同じものになるような気がします。

そうすると、相手の体が一定の方向に流れていくのがわかります。後は力を入れず、その流れに沿っていけば、無理することなく相手が倒れていきます。

これが合気道ということです。

「動中に工夫あり」と言われます。

工夫は、目の前にある、赤の他人から体の自由を奪われた、この状況を、どう対処していくかということです。

そのためには、静中の工夫と一緒で、自分が自分をわかってあげることが大切なのだと思います。

そうすることで自分が癒され、満たされる、とその波動が相手に伝わっていきます。

相手をコントロールしてやろう、自分の思い通りにしよう、と思ってた意識が吸収されるわけです。

そして相手方の潜在意識に浸透した感情が癒されていくのではないでしょうか?

だから、ちょっとした方向性を変えるだけで、相手が流れるように倒れていったり、パッとバランスを崩したりするのです。

これも、カウンセリングをする中で、よくお伺いする人間関係の変化と一緒です。

クライアントさんの同僚の方やパートナーの話を聞くと、その通りだと思います。最初は態度が硬く、心を開いてくれない相手が、クライアントさんが変わっていくことで、徐々に変わっていきます。

そしてクライアントさんとその周りの人が、クライアントさんがこれまで何度も夢見ていた幸せな関係を築いていくという話がよくあります。

これも合気道と全く同じです。

さて、話がいろいろ飛んでしまって、分かりにくくなってしまったかもしれません。

座禅の「静中工夫あり」は、自分自身を見つめるという作業です。

これはカウンセリングで言えば、感情を解放して、潜在意識を書き換えることに当たります。

合気道の「動中工夫あり」、これは、潜在意識を書き換えることで自分と周りがどう変わっていくのか、これを体験する事と全く一緒です。

 

自分の潜在意識が変わることで、目の前に起こる現実が変わってきます。

そして自分の出す波動が変わると、自分の周囲の人がどんどん変わっていきます。

そして、最悪だった人間関係が最高になっていくのです。

合気道でいうと、手首をとられて動けなかったものが、相手を変えるのではなく自分を変えることで、すいすいと動けるようになる、そして相手と自分の両方が、流れていく方向に流れる、これが実現できることだと思います。

静禅と動禅、この二つの違いは、自分の中を見ていく効果が、自分の中にとどまるか、それとも他者との関係に広がるのか、この違いだと思います。

わかりにくくなってしまいましたが、どうぞ、沖縄の山口先生の合気道を体験しに来てください。

また禅や瞑想をしなくても、同じような効果を体験することができるのではないかと思います。カウンセリングも合わせて、ご検討ください。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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