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今日もまた、ちょっと宗教色の濃いお話になります。それはお祈り(praying)の仕方です。
お祈りの真髄とは、ズバリ、お願いではなく感謝だと思います。

今日はUMI講師の国本ひろみさんのメルマガから、あまりにも感動したお話があったので皆さんと共有したいと思います。

土曜日のお昼。

めずらしく家にいて、

TVをつけたら、

たまたま写真家の桃井和馬さんの

「戦場から祈りへ」という話に、釘付けになりました。

桃井さんは、世界140か国以上をまわり

戦場や紛争地で、

極限状態の人間の

悲しみや憎しみや、

生々しい「生」と「死」を写して来られました。

ところが、そんなある日

奥様が、くも膜下出血に倒れて

治る見込みがないと言われたとき

今まで自分が写してきたもものが

いかにうわべだけのものかと いうことがわかったそうです。

愛するものを奪われた人の『慟哭』というのもが

どういうものかというのが、わかったそうです。

そして桃井さんは、

奥様を治してくださいとか

元気にしてくださいではなく、

今後、いかなる困難にも立ち向かえる強さをくださいと

神様に祈ったそうです。

私は、それを聞いて、

戦地で、嫌というほど人間の愚かさを知り

神様に畏怖の念を抱き、

その上での「生きる」ことを決意した

最上級の祈りだと思いました。

結局、一度も目を覚ますことなく奥様は亡くなられ

桃井さんの被写体は「祈り」に向けられました。

困難なことは、

大小にかかわらず、

必ず起きると思うのです。

自分が起こさなくても

巻き込まれたり

すると思うのです。

予防策も必要だけど、

起こってしまったことは

仕方ない。

そのとき、

どう振舞うかが重要です。

私は、子どもに何か起きたら大変だと

ずっと見張っていました。

転ばぬ先の杖を何本も用意しました。

でも、ほんとうに必要なのは、それではない。

私は、

子どもが、転ぶことを恐れていました。

それは私の責任になりそうだから。

子どもが、転ぶことを恐れていました。

泣くのを見たくなかったから。

子どもが、転ぶことを恐れていました。

自分で起きる力を信用していなかったから。

だけど、すべては、転ばないと学べなかったです。

その祈り、なんかピントがすれていると、やっとわかりました。

必要なのは、

「起き上がる力」

「自分で自分を元気にする力」でした。

 

この話で思い出したのは、沖縄の野菜屋さんハッピーモア市場の多和田社長です。あるセミナーで宮崎の霧島酒造さんを企業訪問をさせていただきました。こちらには神社がありました。その神社にセミナーの参加者皆さんがお参りをさせていただいたのです。

私は多和田社長に聞きました。

「どんなお願いをしたのですか?」
そうすると多和田さんはこのようにお答えになりました。
「お願いをしないよ、感謝だけする。。。」
私は、頭をガーンと打たれたような衝撃を受けました。いつも自分の人生に注がれている恵みに感謝する多和田さんに比べ、自分という人間の小ささを思い知らされたからです。
この社長は、色々と苦労されながら、会社の経営をされています。どうすれば従業員やお客様を幸せにできるか、一生懸命考えて経営をされています。本当に立派な方だと思うのです。
どれだけ成功して、どれだけたくさんの財産を作った方でも、このように感謝の祈りを捧げる方が、果たしてどれだけいるのでしょうか?
私の知っている経営者の方々を思っても、これほどひたむきな感謝の祈りを捧げることが少ないのではないかと思います。
人生はやはり、どれほどたくさん、このような立派な方に出会って、感動して、自分の魂が磨けるのか、これだけではないかと思います。人生の究極の目的は、素晴らしい方に出会い、魂を磨く喜びではないかと思います

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。