信じていたのに、私のことなんか、最初から好きじゃなかったとあの人が言った…あなたのハートブレイク、少しずつつくろっていきませんか? あなたの心のパーソナルトレーナー、ユキーナ ・サントスです。

「ふられた自分」という言葉にざわざわしたら、相談してみませんか? カウンセリングやってます!   今日は、宗教や、恋愛の事実について考えてみたいと思います。全くかけ離れた、質問のようですが、その本質は実は同じだと思います。

イエスキリストの復活があったのか、という質問と、彼は私を愛していたのかいないのか、という質問です。この2つの質問は、全然関係ないことのように見えますが、その本質はぴったりと重なる同じものだと私は思うのです。

これを考えるときのヒントはこちらです。

事実関係よりも、現在の現象を客観的に見ていくことの方が大切、

物事の本質がいかに大切かということをお話ししたいと思います

私は、宗教に関しては「ひろさちや」さんや「阿刀田高」さんの本をよく読みます。この方たちがおっしゃっている事は、ある意味宗教の本質をついてるなと思うことがよくあります。

阿刀田高さんの本では、旧約聖書、新約聖書について書かれているものを読みました。

さて、ここで問題なのですが、イエスキリストの復活があったのかどうか、ということです。

イエスキリストは処刑され、その後、復活をしたのか、それとも復活は実際はなかったのか、ということです。

この事実をめぐって、たくさんの宗派が対立してると思います。また、イエスキリストの復活という事実を心の底から信じているキリスト教信者の方も世界にはたくさんいらっしゃると思います。

ここで大切なのは、復活があったのかなかったのか、ということよりも、イエスキリストが広めたこのキリスト教のインパクトの方がはるかに大切で、考えるに値するということです。

キリスト教は世界の3大宗教だと言われています。信者は世界中にたくさんいるでしょう。その中で、この教えを心の拠り所にしている方はもちろんたくさんいるでしょう。さらに大切な事は、この教えが人々の心に平安をもたらし、人間の人知を超えたような力を与えることがある、この事実だと思います。

 

合気道の山口先生がおっしゃっています。キリスト教徒の中では、本当にこれ以上ないほど穏やかな顔をしている信者の方がいらっしゃる。これを見るたびに、信仰というのはこのように強いものかと感動させられる。

また、私の気功の先生がかつておっしゃっていました。あるクリスチャンの方ですが、その方の気の流れがこの世のものとは思えないほど落ち着いて清らかである、何かその患者さんに触れると、そこに気を流すに人間の心が浄化されていくかのような素晴らしい感覚を受ける、まさに驚きと感動を持ってそのようなクリスチャンの方に接する、とおっしゃっていました。

また、聖職者と言われる方たちの影響力や、信仰を持って偉業を成し遂げた人のお話を見たり聞いたり、こうした方の記事を読んだりすることがあります。そのたびに思うのは、信仰によってこれだけの力と人知を超えたパワーが与えられるのだなということです。

これが実際、目の前で起こっていることなのです。素晴らしいことが起こっているではないですか?キリスト教が、実際人々に素晴らしい力を与えているではないですか?これは否定しようにも否定のしようがないわけです。こうして力を与えられた人がいるのは事実です。

そしてイエスキリストから力を与えられている人を見て、感銘を受けたり感動したりする人がいる、これもまた事実です。

この事実を目の当たりにしていると、キリストの復活が実際あったのかどうか、これはどうでもいいことのように思えるのです。

実際、自分の生涯をかけてこれを研究されている学者の方もたくさんいらっしゃると思います。そのような方々には誠に申し訳ないと思います。けれどもその事実関係を争うよりも、今、現実に目の前で起こっている結果を見ていくほうがはるかに重要だと思うのです。

そして、このような働きが宗教の本質ではないかと思います。人に何かの行動を起こさせたり、その原動力を与えたり、魂の平安を与えたり、宗教に出会わなかった場合と比べると、はるかに多くの効果をもたらしているこれが宗教ではないかと思います。

これは、男女の間の愛情のやり取りでも同じではないかと思います。

相手が自分を想ってくれない、自分が思うほどには、相手は自分を愛してくれない、こんな思い込みや考えがあると、なかなか男女の関係もうまくいきません。

相手が自分を愛しているかどうか、これよりも相手の存在で自分の人生がどう変わったのか、ここの方が大切だと思うのです。

愛したのはあなたであって、人を愛することができる私はすばらしい(ドヤ顔!^_^)で良いのではないかと思います。人を愛することで、喜びや幸福感が得られたはずです。人生の素晴らしさも感じることができたと思います。心があるから人を愛することができる、その事実も実感することができたのではないでしょうか?

人を愛することで、人間的に成長し人生を豊かにしたのはあなたなのです。

あなたの人生が幸せだったのは紛れもない事実なのです。

この事実を前に、相手が自分を愛していようとも愛していなかろうとも、それはあまりどうでも良いことのように私は思います。

仮に相手が「お前のことなど最初から愛していない」と言ったとしても、あなたの幸せだった人生が、ゼロになったりはしないです。あなたはあなたであり、あなたの素晴らしさは、全く変わりようがないのです。

恋愛の本質はそこです。愛してるか愛してないかという事実よりも、相手がいることで、自分の人生がどれだけ豊かになったのか、こちらの方がはるかに大切なのです。自分が人間としてどれだけ成長したのか、相手からどのようなエネルギーを与えられて、どれだけのアウトプットを自分が世の中に発することができたのか、ここに目を向けていけば、必要な情報とそうでない情報の選別がうまくできるような気がします。

宗教と恋愛について、その本質を考えてみました。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。