FXで儲けている人をみるとイライラする、この言葉にドキッとしたら、あなたのメンタルブロックをはずすときかもしれません。あなたの「心の蓋」オープナー、ユキーナ ・サントスです。

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今日は投資や不労所得について考えてみたいと思います。

それはずばり、お金の回し方です。お金を大きくまわす意識があるのかどうか、これが大切です。きちんと大きくまわす、お金の使い道、使い方、使う思いなどによって、+の意識かマイナスの意識かがちがってきます。

そもそも、お金は働いて得るものなのか、不労所得はいけないのか、これを考えてみましょう。私が尊敬する、京セラの名誉会長、稲盛氏はこのようにおっしゃっています。

「(会社経営とは・・・)額に汗して、公明正大に利益を追求することによって高収益経営を実践していかなければならないのです。」

ここから、労働について考えてみました。

 

私はここ数週間ほど、海外におりましたが折に触れて、欧米と日本との労働に対する価値観の違いを考えさせられました。今回参加したのは、ファミリービジネスのアドバイザーの会議です。

例えば欧米のファミリービジネスは、最初は家族全員で朝から晩まで頑張って働きます。けれども、ビジネスが成功していくと、他のビジネスをやっていったりと、所有する事業の数を増やしていきます。オーナーである自分たちは経営陣としてのみ関与したり、ビジネスの保有、オーナーシップに徹するという傾向が顕著です。

この背景にあるのは、労働は人間に与えられた一種の罰であるという考えが影響しているのかもしれません。聖書には明らかに記載されています。人間が罪をおかしたので、男性は労働の役務を負い、女性は産みの苦しみを味わうことになるのです。キリスト教の世界は、労働をある意味このように位置付けています。

稲盛氏の考え方に沿って考えてみると、やはり人として正しいことは与えられた能力を最大限にいかし、世のため、人のためになるように働くこと、これだと思います。この考え方に照らしてみてみると、「額に汗して働かない」のはフィロソフィーに沿っていないことのように思われます。稲盛氏が再三繰り返している理論に従うと、「人として正しくない行動」は長い目でみると、わが身にかえってくることになります。

京セラフィロソフィーでは、細部でこのようにおっしゃっています。利己的な行動をした人間は、数十年単位、あるいはあの世までいれたタイムスパンでは、その報いをうける、となっています。

そう考えると、このようなファミリーは没落していっているのでしょうか?額に汗して働かないファミリーは没落してしまうのでしょうか?歴史の中ではそのような事実もあったと思います。けれども、このような考え方もあります。額に汗して働かなくてもボランティアをしていれば、魂が救われる。つまり、勤労をしていなくても、中長期的に見ていわゆる業、カルマが生じないのは、このようなファミリービジネスが、いわゆる慈善活動をしているからだと思います。ある程度の規模になると基金を設けて寄付をしたり、慈善事業を積極的に行うようになります。これは、お金をより大きな規模でまわし、エネルギーの循環を図る行為です。その意味で、慈善活動を行ったファミリーは最終的に恩恵をうけているのだと思われます。

 

そうすると、もとに戻って、投資活動はいけないことでしょうか?

 

私はこう考えます、投資に能力がある人は、投資をすればいい、その目的が自分の欲望をみたすだけはなく、究極的に人のために、世のためになるように、大きく回していけば、その人は、自分の役割を果たしていることになります。

 

そうして自分の役割をきちっと果たしている限り、そしてプラスの意識でお金を使っているかぎり、その人が受けるのは天罰ではなく、天のめぐみだと思うのです。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。