こんな事は私に聞かないで自分でやれよ、といらっときたら、あなたのメンタルブロックが反応しているのかもしれません。昔はこんなことに反応していたんだ…と言うところまでいきましょう、あなたのブロック解消サポーター、ユキーナ ・サントスです。

人に頼るのが嫌だなと思ったら、相談してみませんか? カウンセリングやってます!

今日は、人を助けるのが良いのか悪いのか、根本的なところを考えたいと思います。

私はこのように思います。なぜその人を助けたいのか、助ける前に自分の行動の大元を掘ってみる、そしてその人が解決する課題はその人でなければ解決できない、としっかり心に落とす、これだと思います。

私の尊敬する京セラの名誉会長稲盛氏はこのように言っています。

本来、野カモは厳しい自然界の中で生きている動物ですから、湖面が凍結しても自分で餌を探して生き延びていくものです。そういうたくましい野カモを育てるという意味で、社員を大事にするとIBMは言っているわけです。少しも大事にしていないではないかと一瞬思うかもしれませんが、これが真の愛情なのだと私はその時気が付きました。仏教の教えに「小善は大悪に似たり」という言葉があるのを見つけ、これだと思ったのです。

真面目に働いてくれる社員もいるのに、この会社を潰すような人がいれば、またそれを許してしまえば、大きな罪をなすことになる。ただ勇気がないばかりに、従業員の機嫌ばかりとって、会社全体を不幸にしてしまうということがあってはならない。しかるべき時は、心を鬼にしてしかろう。それは大善なのだ。そう自分に言いきかせて、それからは矛盾に悩まされることなくことに当たってきました。

今日、合気道の山口先生からはっとさせられるお話を聞きました。「のみのサーカス」という話です。のみは、20センチから30センチ位ぴょんと飛び跳ねる力があるそうです。けれども、この「のみ」を高さ3センチ位のガラスケースの中に入れると当たり前ですが、20センチから30センチ位飛び跳ねることができず、3センチの天井で頭打ちとなります。のみはとびはねますが、すぐに頭打ちとなってしまってケースの外に出ることができません。この状況の中にある一定期間、「のみ」を置いておきます。そうすると、このガラスケースがなくなった後も、のみはもうもとのように20センチから30センチと飛び跳ねることができなくなるそうです。3センチ程度までしか飛び跳ねることができなくなるそうです。

のみに感情や学習能力があるのかわかりません。けれどもわかる事は、いちど飛び跳ねて限界を知ったら、もうそこに挑戦しなくなるということではないでしょうか?本当は自分の体には素晴らしい能力が潜んでいるのに、それを使わなくなるということでしょう。失敗から恐怖心が植え付けられるのか、自分の身の程を知るのかわかりませんが、自分の限界を自分で決めてしまうようになるのです。

親が子供に心配する事は、あるいはこの、「のみのサーカス」のように本来の跳躍力を奪ってしまっているのかもしれません。自分の目の届くところに置いておこうと思ってガラスのケースで蓋をして、跳躍力を奪っているのかもしれません。

パートナーとうまくいかない、あるいはパートナーがなかなか現れない、と悩んでいる女性も同じ傾向があります。無意識のうちに男性の活躍の場を奪っていたり、相手の世話を焼くと愛される、自立した女性でいると愛されると勘違いしている場合があります。そしてとても基本的なこと: 信頼して任せる、相手を尊敬するということをしなくなるのです。

自分が相手のために何かをしている、これは一見相手のために見えても、相手のためにならないことがあります。あなたのためにではなく、自分の正義感を満たすためだったり、自分が正しいというのをアピールするためであったり、相手をコントロールしたいという欲求だったりします。

解決の糸口を自分の外の世界に求めるのではなくて、自分の中を見ていくと、自分の小善の欲求に気づくことができます。自分で自分を承認することができると、相手を認めることもできるようになります。相手を認めるとは、自分の課題と相手の課題の間に線を引くと言うことだと思います。小善の気持ちで相手を助けても、この課題はこの人が自分で解決しなければいけないとわかってきたら、ある一定のところ以上は手を出すことができません。大善とは、相手の生きる力を信じて、相手の課題をその人に解決させることだと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。