愛とか優しさ、こんな言葉を聞くとイライラする。綺麗事ばかりいいやがってと腹が立つ! まさにこれって私の事?と思ったあなた、一緒に綺麗事ワールドをなくしていきましょう、あなたのためのメンタルバランストレーナー、ユキーナ ・サントスです。

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今日は世の中の善悪について考えてみたいと思います。世の中には人間の欲望が渦巻いているのか、それとも思いやりの心に溢れているのか、これを考えてみたいと思います。最初に答えをお伝えします。

ズバリ宇宙は「愛と誠と調和に溢れている、のだと思います。この世は、思いやりの心に溢れているのです。そうは思わない、と言うあなたは(私は)心を磨いていく時期に来たのかもしれません。メンタルブロックを取り外して、宇宙の真実に気づく、その時期に今来てるのかもしれません。

「欲望という名の電車」の話をします。

https://youtu.be/BKZxZ1ilJEg
何年も昔に作られた白黒映画です。主役はマーロン・ブランド、ゴッドファーザーパートワンのゴッドファーザー、ヴィト・コルレオーネを演じたことでとても有名な俳優です。この彼が若い時の主演作品がこの映画です。映画の細かい筋は私もあまりよく覚えていません。

育ちが悪いブルーカラーの義理の弟と、落ちぶれてしまった貴族の姉という設定だったと思います。

姉が求めたものは、いわゆるセレブな生活でした。ぜいたくな装飾品や食べ物、家などわかりやすい欲望を満たすために、彼女は自分の売れるものを売るわけです。美しさだったり肉体だったり、自分がバーター取引できるものは、あらゆるものと交換して、セレブライフへの階段を登りつめていくのです。義理の弟は、自分のコンプレックスやスノッブな人たちへの怒り、妬み、嫉妬という欲望にいつも駆られて生活してるわけです。

どうして今これを思い出しているかというと、やはり人の世は欲望なんだなと思ったからです。今の私がこう思ってるわけではなくて、15年前、10年前の自分はこのように思っていました。世界のあらゆる場面では、欲望が渦巻いている。世界中の人間は自分の欲望を満たすために、あらゆる手段を使おうとしている。

世の中の根源にあるのは人間の欲望だ、当時の私はこのように思っていました。

平成の最初、バブルの崩壊がありました。不動産バブルで人間の欲望を嫌というほどみました。そしてその後、失われた20年の後、リーマンショックが起こり、またバブルの崩壊がありました。ここでも欲望に踊らされた人たちが、次々と社会から消えていくのを見たのです。まさにこの世は諸行無常、奢れる者は久しからず、こんなことをずっと考えていました。これは日本だけではなく、世界中同じです。欲望に踊らされる人たち、その春は長くないよな、と漠然と思っていたのです。

今思うのは、自分の心が欲望にとらわれていたので、この側面しか見えなかったのだなということです。

半聖半俗の話はブログでも書きました。
不正と不祥事と考え方 半聖半俗
http://abrils.opal.ne.jp/philosophy/%e4%b8%8d%e6%ad%a3%e3%81%a8%e4%b8%8d%e7%a5%a5%e4%ba%8b%e3%81%a8%e8%80%83%e3%81%88%e6%96%b9%e3%80%80%e5%8d%8a%e8%81%96%e5%8d%8a%e4%bf%97%ef%bc%91/

「世の中の事は、100%俗である」これはありえないと思うのです。そしてまた、「100%聖である」これもありえないと思います。世の中の俗っぽくて嫌な部分、これは自分の心から出ていたことなのだなと思いました。 自分の中が俗世間にとらわれているので、世の中の動きを見て反応するわけです。

世の中で起こる出来事は全て、自分の心の表れ、という話はまさにその通りだと思います。そう考えると欲望にとらわれて、世界の俗なるものに拒否反応を示していた自分は、未熟だったと思うのです。

もちろん今が素晴らしい人間だと言ってるのではありません。当時の自分はまだまだだったなと思うのです。そしてまさにこの宇宙は、愛と誠と調和に満ちている、ということが、漠然とわかってきたのです。昔は、欲望という言葉だけが気になって欲望から逃げる事しか考えていませんでした。

たとえ欲望があったとしても、その奥には、愛と誠と調和が満ちていると私は思っています。宇宙にはすでに、愛があり、誠実さという誠があり、そして戦わない、争わずして和を見いだす、この仕組みが埋め込まれているのだと思いました。

これは合気道をやったり、日本の文化に触れたりする中で思うことです。「所詮この世は欲望だけだよな」、と斜に構えて世の中を恨んでいると、宇宙の意思とはどんどん離れたところに行くのです。そして幸せな一生を終えることができなくなります。ですから、宇宙の思いと重なる、同じ思いを抱く事はとても大切なのです。宇宙の思いとは何か? 愛と誠と調和に満ちているということです。自分がこのような存在になる時、宇宙が我々に味方して、人間が無限の可能性を追求することができるのだと思うのです。

なるべくわかりやすく例えてみます。自然の摂理、世の中の法理法則を考えてみます。植物が生きて成長していくのは、水と太陽の光があるからです。植物はどのようにして根を張って、どうやって水分を吸収するのか、科学者はその仕組みを研究します。私たちは科学者の研究のおかげでその仕組みを知ることができます。太陽についても同じです。太陽の中のどのような成分が植物に働きかけて、酸素を作り二酸化炭素を消化していくのか、科学者がそのメカニズムを解き明かします。

けれども、皆さんここが重要です。なぜそのメカニズムがあるのか、これは誰も説明できません。どうして植物を生かそうとする仕組みが備わっているのか?これは誰にも説明ができないのです。宇宙の中に自然のパターンインストラクターというのがいて、この人が決めている、というのでは無いのです。宇宙にすでにこの仕組みがあったから、としか言いようがないのです。ではなぜ宇宙にこの仕組みがあるのか?宇宙がわれわれ人間を、生物を生かそうと思ったから、これが明らかな答えではないでしょうか?

宇宙に意思があって、その意思には愛がある、これを真っ向から受け入れた時、あらゆることに説明がつきます。母親はなぜ自分のことを心配するのかも、これまでどうしてたくさん嫌なことがあったのかも、自分が今ここに生かされていることも、宇宙に愛があるから、この事実を受け入れることで全て説明がつくのです。

今日はちょっと哲学的なお話をしてみました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。