私ってどうしてこんなに才能がないんだろう、できる人と比べると本当に嫌になる、この思いで落ち込んでいるあなた、自分で作ったプレッシャーから解放されてみませんか?あなたのためのストレスフリーランサー、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、才能やおけいこ事について考えてみたいと思います。

その本質はこれ、つらくなったらやめてもいい、これでしょう。努力と根性で苦しいところを乗り切らなくてもいい、私はこのように思います。

 

今日は、絵画教室に行きました。

そこで先生から、だめなところ、できてないところをたくさん指摘されました。

私は、レッスンをしていてとても悲しくなってしまいました。

こういうときには、自分の心の中を掘ってみる、これを自分のモットーにしています。

そこで、自分の心を掘ってみたいと思います。自分がどんなふうに思って何を感じているのか、これを自分で自分に尋ねていき、答えをはっきりさせていくわけです。

頑張っているのに認められないようで悲しい

自分が無駄なことをしているようで嫌になる。

いろいろなことでとても高いところを目指しているような気がして圧倒される。目指すところと現状のギャップがありすぎて嫌になる。

自分が自然体でいられなくなるような気がして嫌だ。

自分がとても愚かな人間のように思えた

いっそのこと全てを止めてしまおうかと思った。

諦めたくなった。涙がこぼれそうになった。

 

やめようと思えばいつでも止められる、やってもやってもゴールは見えなかった。今日一日を一生懸命生きることができなくなった。

苦しいことをなぜやりたくないのか?

→苦しいことを乗り越えても、自分にとってベストな結果にはならないから。

自分にとってベストの結果とは?

→このアートを通じて、生かされていてありがたいと、感謝の念と感動に満たされること

お稽古や練習をしないと、こうした感謝の念と感動に満たされる事は無いのか?

→お稽古や練習をしなくても、自分の周りのものに感謝をして大きな感動に包まれることがあると思う。自分が意識をするかしないかということ

ここまで考え進めてきて、今日の中で一番嫌だなぁ、苦しいなと思った瞬間を思い出しました。それは、講師の先生がAさんという生徒さんにお免状をあげると言っていたところです。

私はそんな扱いを受けていない、なんで彼女がもらえるのだろう。彼女は理屈をしっかり理解していると思えない。精神面の深いところを理解してると思えない。彼女よりも自分の方が劣っている、未熟だと言われてるようでたまらなく悲しい。

こんな思いが沸き起こってきました。

そして同時に、もうやめても良いのではないかと思いました。辛さや苦しさ、を持つためにこのレッスンをしているのではない。

あくまでも自分がより良い人間になるためにこうした傾向しているのだから、辛さや、苦しい思いを我慢してこれを続ける必要は無い、私はそう思いました。

そして、自分がもう一度心のそこからやりたいと思ったときにやれば良いのではないか?そのような思いも出てきました。

UMIの創始者の川相ルミさんがおっしゃるには、辛いこと、苦しいこと、やりたくない事を無理矢理やっていると、とてつもなくエネルギーの消耗が激しい、とお伺いしました。

そして、人間に与えられた人生の時間というのは、1)仕事、2)生きるための活動、3)休息あるいは遊び(快と感じること)、 この3つに8時間ずつバランスよく割くようにできているようです

だからどこかで、強制されるような疲れや、エネルギーの強い消耗を感じたら、それは心身ともに休息しなさいというサインなのかもしれません。

昔の自分だったら、こんなことではだめだ、もっと頑張らないといけない、と自分に喝を入れていたような気がします。

でも、自分がワクワクしない、のめり込めないものには、積極的にエネルギーを割いていこうというインセンティブが働かないのです。それならば、プラスのエネルギーが出てくるまで、その活動をしばらく中断しても良いのではないか、このように思います。

そして、自分が心の底から、もう一度絵を書いてみたいと思うまで、絵を書くことをやめても良いのではないかと思うのです。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。