忙しいのは私だけ、誰も助けてくれない。みんな私の邪魔ばかりする、それって自分のことじゃないの?こう思っているあなた、助けてくれない悲しみを、助けがたくさんあった喜びに変えましょう。あなたの喜び発見器、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、かつて見ていたドラマから自分の心のブロックを考えました。それは次のようなことです。

大きな憎しみの奥に深い悲しみがあった、そしてこの悲しみがすべての原動力になっていたということです。

昨日、必殺仕置人の話をしました。

そこから自分のブロックについてたくさんのことを気づきました。今日はそれを伝えたいと思います。

算命学の方に私の運勢ですとか人生を見てもらったことがあります。私の中で父親と言うのはとても大きな存在だと言われました。人生の中で父親の影響力がとても大きいというのです。言われてみるとそうかもしれません。

父親が悪い人に騙されて、私たちのお店を全て失ってしまうということがありました。家も取られそうになりました。

そうです、ここには「のさばる悪」があったのです。当時中学生だった私は何もできませんでした。姉が母親と一緒に警察に相談に行ったりもしたそうです。そして相手の名前を告げると、警察でも名前が通っている? あいつにかかったら最後だよ、と言われるような詐欺師だったそうです。証拠も残さず、法律に触れないようにやるので巧妙な詐欺師だったということです

 

そうです、ここでは「のさばる悪」があったわけです。そしてこの世の正義もあてにはならない、という状況だったわけです。その自分の悔しい無念の思い、憎しみをこのドラマを見ることで晴らしていたのかもしれません。

当時の私の心にあったのは、自分たちを不幸におとしいれた、この詐欺師に対する憎しみです。「この人たちは畳の上では死ねないな」、と心の底から思っていました。

この強い憎しみの裏にあるのは、悲しさです。何が悲しいのか、当たり前の幸せを奪われてしまった悲しさです。当たり前の幸せとは、愛してくれる父親がいる、父親を尊敬し、頼って、大切にされる。こんな幸せの幼少時代を送る、これが私にとっての幸せでした。周りを見るとクラスメイトは幸せそうにお父さんとの関係を築いているように見えました。それが自分にはない!!ここに絶望的な悲しみを覚えていたのです。

憎しみは同時に父親に対しても抱いていました。私たちを恐怖のどん底に陥れたのはこの父親だ。どうしてこんなことができるのだろう。それは私たちを、娘の私を全く愛していないからだ。だからこんなことが平気でできるんだ。だから次々と人に騙されていくんだ。しっかり生きることも、しっかりお金を稼ぐこともやってくれない。この人は絶対に私のことを娘だと思っていないに違いない。愛情がないに違いない。

父親から思われていない自分が本当にかわいそう。悲しい。愛してくれる父親がいれば、どんなに幸せだろうか?これが子供の時の私の 憎しみの裏にあった感情です。

この憎しみは、本当に消えませんでした。

でもこのドラマを見ていた時から30年近く経って気づいたことがあります。

この経験がなければ、今の自分はないということです。不動産の専門家としての地位も築くことができませんでした。この強烈な思いがあったからこそ、不動産の資格を次から次へととったのです。日本だけでなく海外でも通用するプロになったのです。すべてはこの憎悪と、深い悲しみが原動力になったのです。この詐欺師がいなければ、私はここまで努力する事はなかったかもしれません。そして、父親がこんな父親でなかったら、私はここまでこれなかったと思います。

どんな大悪党であっても、私のバネになってくれたという意味で、私の人生の役に立っているのです。そして父親も、私の人生を方向づけてくれたのです。そして今になるとよくわかります。父親が次から次えと人に騙されていったのは、私たちを愛していないからではなく逆だったのだと。私たちから尊敬されたいために、次々と失敗を繰り返していたのだと思います。

「のさばる悪」の息の根を止めてくれたのが、念仏の鉄さんでした。私の父親に代わって、恨みを晴らしてくれていただけです。悔しさ、悲しさ、憎しみの奥にある、深い悲しみを解放してくれていたのです。

この時に自分に植え付けられたブロックは、私のことは誰も助けてくれない。自分でなんとかしない限り、悪人どもの餌食になってしまう。これでした。そしてこのブロックは今も時々、いろんな形で私のところにやってきます。

そして、このドラマを見ているときに私の心の中に浮かび上がってきていること、それがこの不安と恐怖なのです。

あの時、自分は本当に心の底から悲しかったのだと、思いました。誰かから愛されたいと強く思っていたのです。潜在意識が「1人で生きるのは嫌だ」と、孤独が嫌だと叫んでいたのではないかと思います。ひとりでいたら、大声を上げて泣いてしまいそうな悲しみだったのです。それを押し殺して努力を続けてきたのではないでしょうか?

その時期はもう終わった、そこはもう通り過ぎたよ。今、私の心の声がそう言っているような気がします。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。