あの人には血も涙もないのか!畳の上じゃ死ねないよな!!そうそう!と頷いたあなた、あなたの敵へのリベンジ手伝います。あなたのためのお悩み仕置人、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、大好きだった懐かしのドラマ、時代劇から、やり場のない怒りの処理の方法について考えてみます。

それは、怒りをしっかり出すこと、そして事実をしっかり見てみることではないでしょうか?

具体的にお話ししますね。

今から25年以上前でしょうか?私のお気に入りのテレビ番組がありました。それは、必殺シリーズの中の「必殺仕置人」です。そのメンバーの中の「念仏の鉄」という役柄にとても惚れ込んでいました。俳優は山崎努です。今となってはおじいさんの役しかやりませんが、「おくり人」の中の納棺師として演技派俳優の貫禄を示したあの方です。私は当時中学生でした。

この必殺仕置人が、去年再放送していたので録画しました。そしてじっくりと見てみたのです。念仏の鉄を演じていた山崎努も、おそらく30代だったのでしょう。とっても若かったです。そして手首に鎖のようなものを巻いていました。当時中学生だった私はそれがとても気にいって、自分も鎖風の時計をいつもしていたことを思い出しました。そのくらい惚れ込んでいたのです。

さてこの必殺仕置人シリーズで一番最初のナレーションがあります。「のさばる悪を何とする、天の裁きは待ってはおれぬ、この世の正義もあてにはならぬ、この世の悪を闇にさばいて仕置する、南無阿弥陀仏。。。」こんなナレーションなわけです。

今となっては、私も半世紀近くを生きている人間です。その間にいろいろな経験をしました。特にここ数年は、人の心について学んでいるわけです。そうすると、「勧善懲悪」が果たしてあるのか?と思うわけです。「天の裁き」が本当にないのか?とも思うわけです。「天の裁き」から考えてみます。それは遅かれ早かれなされるのだなと思うのです。なぜならば、宇宙の法則では出したものは必ず返ってきます。人に対して強い嫉妬や、憎悪、マイナスの感情を向ける、人のものを奪おうとする、それは必ず自分にも返ってきます。同じ感情を向けられることになります。奪ったものは必ず奪われるようになります。そうすると、「天のさばき」がしっかりとあるのではないのかな?と思うわけです。

そして次に、勧善懲悪について考えてみます。100%、頭のてっぺんから足のつま先まで、DNAまで悪に染まっている、生まれたときから死ぬまで悪に染まっている、こんな人間があり得るのかなと思うのです。

芥川龍之介の小説で「くもの糸」というのがあります。カンダタという大悪人がいます。死んで地獄に落ちます。それでもお釈迦様は見ていたのです。カンダタが生涯でただ1度良いことをしていたことを。たった1回だけ、目の前にある蜘蛛を踏みつけず、助けてあげたことがあったのです。だから地獄に落ちたカンダタの前に蜘蛛の糸が1本すっと降りてくる、こんな話です。自分が意識するとしないにかかわらず、どんな悪党でも、何かしらの善行はしているのではないでしょうか?

 

そうすると、仕置をされるような人間がこの世に存在するのでしょうか?そしてもっと考えると、世の中の自分の敵は、実は自分が作り出しているということもあります。

世の中に起こっている戦争は、そんなに簡単なものではないのかもしれません。けれども自分のDNAをたどっていくと、その中に埋め込まれた、被害者意識や、いわゆるブロックが作用していることがあります。自分たちが迫害されている、と強く考えると、身の回りにたくさん自分たちを迫害する相手を作りだします。そしてその相手を排除すること、逃げること、相手からの迫害に対抗すること、これに人生をかけることになるのではないでしょうか?

そうすると果たして、勧善懲悪がこの世にあるのかなと思うのです。

中学1年生の自分は、こんな事は考えませんでした。そして30年近く経って、自分がまさかこんなことを考えるようになると思う思いませんでした。

ただ事実として言える事は、昭和50年代、1980年代の日本では、この勧善懲悪が民衆からとても受け入れられたということです。勧善懲悪がウケたということです。この世の悪を闇にさばいて仕置してほしいと思う日本人がたくさんいたという事かもしれません。

この辺は考えてみると、面白い分析になるかもしれません。今回は、必殺仕置人から、天の裁きと勧善懲悪について考えてみました。明日はここから考えた、自分のブロックと感情の解放について、書いてみたいと思います。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。