あー、また中国出張だ、中国人に振り回されるからほんとにヤダ!とため息をつくあなた、ブルーな気持ちを、ちょっとウキウキに変えてみませんか?あなたの心のカルチャーアドバイザー、ユキーナ ・サントスです。

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先日、元早稲田大学総長の西原春夫先生の話を聞きました。

以下「」はその際の講義資料「民間活動の立場から見たグローバル教育のあり方」からの引用です。

国際ビジネス、海外の人とどのように関係を築いていったらいいのか、これにとても大切なヒントをいただきましたので、皆さんと共有したいと思います。

西原先生は、中国との関係にとても造詣が深い方です。戦争に関して日本人のアジアの侵略について、いろいろと議論がなされています。先生は刑事法がご専門です。中国の著名な学者の方から、中国で刑事法シンポジウムの祝賀会を開いてもらったり、90歳を超えたときに660ページに及ぶ記念の論文集を献呈していただいたそうです。このように受け入れられる秘訣は何か、これをお話しいただきました。

ポイントは「必要なのは、過去の歴史を知り、被害加害の状況を知り、先人の行ったことについて申し訳なく思い、心を痛めていることを相手方に適時に伝えることです。彼らはそれだけで許してくれるのです。」というところだと思います。

私はこの話をお伺いした時に、合気道と同じだと思いました。

合気道では、相手をまず受け入れます。全て受け入れると自分と相手の境がなくなります。自分と相手の境があるのは、自分に強いこだわりがあるからです。相手に対する、「思い込み、差別、偏見、曲解、独断、独善」こうした態度があると相手を受け入れることが難しくなります。

だから、このような自分の中の姿勢をなくすことが大切になるのだと思います。

相手を受け入れるという事は、相手の気持ちに寄り添うことだと私は思っています。

相手の中国の方、仮に「陳さん」とします。陳さんが、こう考えていたとします。

自分の親、祖父は日本に対してとても強い憎しみの感情を持っている。自分もこうした日本への憎しみを聞いて育った、だから日本が憎い。

これは陳さんの思いと感情です。これに、合っているも間違っているもないのです。これはこの方の内部の感情ですから、いいも悪いもないのです。この陳さんのものです。この思いと感情をこのまま生涯持ち続けていくのか、それとも手放すのか、それはこの陳さんの選択なのです。

それを聞いた日本人の私ができる事は、陳さんの気持ちに寄り添ってあげることぐらいです。そんなに強い憎しみがあるのですねと、それを伺って私も心を痛めています。このように、憎しみの下にある感情に寄り添って、共感すること、これが私ができる唯一のことだと思っています。

西原先生がおっしゃっていたのは、おそらくこのようなことではないかと思いました。

相手の考えや気持ちを真っ向から否定すること、これは簡単です。

けれども、そこから生まれてくるのは、エンドレスの対立です。

そしてお互いがエネルギーを消耗して疲労困ぱいするでしょう。

相手を受け入れる姿勢から、和が生まれます。

中国人のある大学の先生が、西原先生にこのように尋ねたそうです。「先生はどうして(どうやって)説得力を養ったのか?」

西原先生がこのようにお答えになったそうです。「頭を射るだけではだめだ、心を射るだけでもダメだ、頭と胸の両方を射なければならない」

西原先生の心の友、心友とも言える武漢大学の先生が亡くなられたそうです。「大学の校舎の内庭に、ベンチに座って学生と話をしているような先生の銅像が建ったという知らせを受け、その写真を見たとき、西原先生はどうしてもそのベンチの空いてる席に座って武漢大学の先生の銅像と話をしたいという衝動を抑えることが出来ませんでした。そしてそれを実現されました。」

西原先生はこのように書いておられます。「90歳の外国人が、遠い日本からわざわざ先生の銅像の隣に座り、その肩に手を回して話をする、ただそのためだけに来てくださった、その熱い思いが先生の門下生にあたる中国人の教員や学生にどのような感銘を与えるか、それを意図して行ったのでは無いけれども、その印象は強烈だったに違いありません。私の行動は中国人の胸をえぐったのだと思います。」

京セラの創設者稲盛氏は「所詮人間同士だ、心と心でぶつかったら絶対に理解できる」とおっしゃっています。

心と心でぶつかるには、自分の心が、宇宙のような「空」であったほうがいいと私は思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。