毎日がただなんとなく過ぎていく、このまま歳をとることに不安がある。でもどうしたらいいかわからない。あなたのその漠然とした不安、一緒に解消していきましょう。あなたのための不安コントローラー、ユキーナ ・サントスです。
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昨日、私がとても尊敬する合気道メイトの方からとても貴重な資料をいただきました。この方は歯医者さんをされています。合気道もとても頑張ってお稽古をされて、私といつも意見交換させていただいている先生です。この先生がくださった資料はこれです。ダイヤモンド社の雑誌の特集でこれからは、哲学者が必要とされているというタイトルでした。
今日は時代を読む力がいかに大切か、これをお話します。これが自慢になるといけませんが、過去、私がこれだと思ったこと、それが時代の流れに合っていたというお話をしたいと思います。
今から17、 18年前でしょうか?私は、当時自分が借りていたマンションをシェアして外国人に貸すということを始めました。それであれば都心であってもワンルームマンション位の家賃で、十分な共用部分のある広い家に住めるわけです。不動産鑑定士のスキルを活かして、とても良い物件をゲットし、イタリア人等とシェアして暮らしていました。イタリア語もそれなりにうまくなりましたし、おかげでイタリア語のスピーチコンテストに出ることができました。当時はいろんな方が、外国人とルームシェアするなんて何を馬鹿なこと言っているんだ?とおっしゃいました。突然何か事故が起こったらどうするんだ?殺されるかもしれないじゃないか?と言われました。
けれども私には、彼らが日本に前家賃を送金をしてまで、犯罪を行う合理的な理由がわからなかったので、この不安はほとんどゼロでした。そこから20年近く経ってみて、今や日本の都会ではシェアハウスが当たり前になっています。シェアをすること空室を有効に活用することもできるでしょう。言葉を話すためにあえてシェアハウスをする、という人もいます。ここ20年近くで人々の考えが変わり、外国人にも見慣れてきたし、心配な事は起こらないという理解が進んだんだと思います。
さてこのときの感覚を生かし、私がこの先を見るととても明らかに見えてくる流れがあるのです。それは、「時代は今フィロソフィー」と言うことです。
私も含め、今30代20代で働いている都会の人たち、こうした人は生まれた時から一定の財を持っています。これがかつての団塊の世代の人たちとの大きな違いです。団塊の世代の人たちは、ものがなかった。モノや豊かさを求めることにまず必死だったのです。そして必死になって子供を育ててきたのです。私の母の世代などがそうでしょう。しかしこうした世代と違って、今の世代の人たちはみんな持って生まれてくるのです。かつてなかったものが今はあるのです。、では今の人たちは幸せでより幸福な人生を送るのでしょうか?これが疑問になるわけです。答えは皆さんお分かりの通りノーです。
どうしてそうなのでしょうか?有り余るほど物を持っていて、食べ物にも困らない、食う寝る処に困らない、着る物にも困らない、戦争で何かがなくなるわけではない。それなのにどうして幸せでは無いのでしょうか?
これが哲学が今必要だと言っている理由です。これだけのものに溢れていても、人は幸せを感じることができないのです。そこで皆、考え出すわけです。幸せってなんだっけ?幸せになるにはどうしたらいいんだろうか?私の幸福って何だっけ?人生って何だっけ?
何のために生きるんだろう?こうしたことが次から次えと頭をもたげてくるわけです。
言うまでもなく、このクエスチョンはすべて哲学ですね。何のために生きるのか?何のために働くのか?何のために結婚するのか?何のために子供を産むのか?どうして子育てをするのか?親子って何なのか?私の存在って何なのか?これを全部考えるわけです。この考えは、哲学の作業です。ですからこの先は、よりたくさんの人が哲学を考えるようになるのです。哲学を考えながら自分の幸せを探しに行く時代、それが令和の時代ではないかと私は思うのです。
この心の時代、哲学の時代に先駆けて?(なのかな) 私が哲学について考えていたのは、5年位前だと思います。働く事と哲学は同じことではないかと考えだしたのです。一生懸命働くこと、一生懸命チームを作ること、あるいは経営をしていくこと、これは哲学ではないかと思いました。そこでぶち当たったのが、京セラの名誉会長、稲盛氏が表しているビジネスフィロソフィーです。これを私は毎週毎週読み、自分の中で考え、自分の体験と照らし合わせてさらに考え、意見をまとめています。それを英語にして海外にも発信しています。こうすることで、自分がなぜこのフィロソフィーをやっているのか?自分がなぜ不動産の投資アドバイザーをしているのか?究極は自分は何であるのか、生きるための修行とは何か?これについていつも考えていることになります。
世の中には様々な不確定要素があります。明日大きな地震が起こるかもしれません。可能性は少ないですが、日本人がたくさんのものを失う危機が起こるかもしれません。そうであっても、1人の日本人として、私は哲学の大切さを皆さんに伝えていきたいと思うのです。生きる目的は、自分の魂を磨いて次の人生をいきるためです。この世は自分の魂を磨くため、すべて修行なのです。私は今、心のそこからそのように考えています。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。