女だからって差別してるよね、学歴で差別してるよね…それってうちの職場じゃない?と思ったあなた、あなたの無念の思いを昇華させませんか?あなたのための仕事人、ユキーナ ・サントスです。   差別のないところに行きたい、と思ったら、相談してみませんか? カウンセリングやってます!

今日は差別について考えてみたいと思います。

私が考える事は、差別に対抗して戦っても、守るべきものがないことがある。差別と戦うための大義名分も、実体がないこともある。差別を意識しなければこれがわからない。だから差別を受けることにも意義がある。

 

これです。

誰のために頑張るのか?

元はと言えば、今日はなぜか、差別された人々について考えました。日本の中でこれまで差別されてきた歴史がある人々について考える機会がありました。たまたま今やっている仕事についてメディアの記事などを検索していたときに差別を受けた人たちの思いやエネルギーについて考えさせられたのです。「かつては自分たちが差別されていて、思うような職業につけなかった、職業選択の自由がほとんどなかった、だから皆が嫌うような仕事をしなければならなかった。」このようなことが書かれていました。

確かに差別を受けるというのは大きなエネルギーを生むなぁ、と自分の経験も合わせて思ったのです。

私が日本から離れて海外で暮らしたのは2年弱位でしょうか?海外でMBAを取ってる時でした。今から15年位前です。

海外の人が皆、日本についてよく知っているわけではありません。大抵の人は、日本についてイメージがあり、そのイメージに従って発言をします。その中には、日本についてのいろいろな誤解があります。
日本人は世界の金融マーケットを牛耳ろうとした。
日本でお箸を使わないと商談ができない。
日本はすべての物価が高くて生活ができない。
日本の株主は、ものを言わない株主で会社は株主のものではない。

 

このような、いやちょっとそれは誤解じゃないか、と思えるような意見をたくさん聞きました。そのたびごとに英語で自分の意見を伝えられない、反論ができない自分を、とてももどかしく思いました。これが原動力になって、留学してからも英語を一生懸命やった、というのもあります。

そして何とか、日本人として日本の立場を弁護しようと必死になって相手を説得したのです。私は外交官でも一国の首相でもありません。けれども日本人としてこれは捨ておけない、という発言があったときには必死になって日本人の良さや優秀性や、日本の素晴らしさを英語で伝えようとしたわけです。

そんな生活を送っていたので、時折日本に帰ってくるたびに堪らないショックを味わうことがありました。

それは何かというと、私はこう名づけます。「ザ猿の惑星ショック」です。

猿の惑星というアメリカ映画をご存知でしょうか?ある男性が、「人間がおりに入れられ、猿に使われている、猿の奴隷になっている」という世界に行きます。ここは地球ではない、早く地球に帰りたい!!と脱出をいろいろ試みるわけです。そして思いが叶って脱出し、砂漠をさまようってみると、そこには自由の女神像の先端が見えます。そこでこの男性はここが地球だったのか!!と愕然とするわけです。自分が心の底から守ろうとしていたものが既になかった、このように思ったたときのショック、これは半端でないほど強いものでしょう。

海外で生活して、時折、日本に帰国する自分の心境もこれでした。何故かというと、日本についてこれほど弁護をしても、自分がアウトサイダーとして受け入れられない、自分が完全否定されてしまうことが多かったのです。

例えば、日本人の友人と一緒にラーメン屋さんに入りました。カウンター席がパラパラ空いていたのでカウンターで食べてる方に申し訳ないですけど詰めていただいても大丈夫ですか?と聞きました。その時一緒にいた日本人の友達から、外国人はそういうことやるけど日本人はやらないんだよ、という意味のことを言われました。「お店の人がそれをやるのはいいけれども、お客が他の客にそれをやるのは筋が違う」と言われたのです。私はそれを聞いてとてもショックだったわけです。海外でこんなに頑張って日本のために苦労しているのに、日本人から外国人呼ばわりされるのか私は…とたまらなく悲しくなったのを覚えています。

日本人の方から見たら、私のような人間は外国かぶれした、日本人じゃないような人間かもしれません。けれども私は、海外では日本のために戦っているのです。日本人から戦ってくれと頼まれたわけでもありません。日本人として日本の良さをアピールしろと誰かから言われたわけでもありません。けれども私は日本のために一生懸命がんばっている、という気持ちがあったのです。少なくとも日本人としてのプライドを抱いて、異国でがんばっていたのです。自分を差別をしない国、自分を受け入れてくれる国というのがあって、その自分の故郷のために頑張っているわけです。

けれどもその故郷から異邦人呼ばわりされると、私の故郷はどこなんだ?と叫びたくなります。まさにこの猿の惑星のラストシーンです。この変わり果てた、全く別の星だと思っていたところが、実は地球だった、と発見した主人公のショックと同じ位のショックがあります。自分が守るべきものがない、これに気づいたとき、これ以上ない失望を感じると思います。

 

海外に行って差別された、と言う思いがなかったら、これには気づきませんでした

そしてそこから10年以上経って、私はこの世に差別は、本当は存在しないということに気づくのです。誰が見ても、どんな人が住んでいても、地球は地球、この事実に気づくようになったのです。この話はまた別の機会にさせていただきます。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。