誰のせいでもありゃしない。。。みんな俺らが悪いのさ… .あれ、これもしかして私のことじゃない?とどきっとしたら、あなたのなかの眠っていた罪悪感、取り出してみる時かもしれません。あなたの総合トラウマヒーラー、ユキーナ ・サントスです。

「日本人はダメ」という言葉にざわざわしたら、相談してみませんか?

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今日はちょっと、スケールが大きい話をさせてください。それは日本の官僚主義についてです。

2011年の東北大震災とそれに続く放射能事件から8年が経とうとしています。

あの事件の時に、私はしみじみと思いました。

官僚と政治家が日本をダメにする。

報道はすべて規制され、真実は何も知らされません。

外国人や一部の政治家エリートたちは、国外避難ができたのですが、大部分の国民にはそれができませんでした。

国民のために何かをしようとする役人や政治家はいないのではないかと思いました。おそらくこのように思った方は私の他にもいるのではないでしょうか?

また最近、ある情報源を読んでると思うのです。霞ヶ関のいわゆるエリート官僚は、何を考えているのだろうか?どうして明らかに日本の経済を悪くすることをするのだろうか?どうしてわざわざ、日本人をダメにする仕組みを作るのだろうか?

今日は、官僚主義についての、京セラの創始者稲盛氏の解釈をみなさんと共有したいと思います。

日本の行政主導型の仕組みについて、私は常日頃から疑問に思っていました。日本の社会の矛盾を考えると、必ずここに行き着きます。日本の役人は、エリートです。霞ヶ関のとても優秀な人材です。この人材が集まっているのに、日本に不利益になること、日本人をダメにすること、ここに注意が向いているように見えるのです。その背景は何なのだろうと考えていました。稲盛氏の説明で、とても納得がいきました。

「戦後の日本を貫いてきた政治行政システム、または官僚の仕組は実は民主主義にはなっていません。あえて言えば官僚主導型、あるいは官僚独裁主義的なシステムで運営されている、このシステムは現状維持で社会の秩序を守り、経済を発展させるという考え方です。

GHQ は日本を治めるのに、戦前からの官僚、つまり「お上意識」を持った人たちをそのまま組織として残しました。」

→これはとてもアメリカ的な発想のように見えます。アメリカはトップダウンの仕組みが多いです。トップが頻繁に変わっても、トップに従う姿勢を持っている人であれば、トップはこの人たちを簡単にコントロールできます。強い反骨精神がある人だけを取り除いていけばいいのです。

なるほど、ここに原点があったのかと思いました。

ここにアメリカの競争原理と形式的な平等の精神が入り込むことで徐々におかしくなっていったようです。

「戦後は大学を卒業して国家公務員の上級試験に合格すれば中央官庁の官僚になることができます。そういった人たちが、マッカーサーの権威を後ろ盾に、国民を押さえつけるということを始めました。マッカーサーの意をくんだ日本の官僚たちは、日本が暴走するのを抑え、安定した方向に向かうよう必死でがんばりました。荒廃した世相の元、国民の意見を聞いていたら、おそらく日本は赤化されていたでしょう。その時から、官僚たちは国民を信用しなくなったのです。自分たち一握りのエリート官僚集団が、日本の国の将来を考えていくべきだと思ったのです。清廉潔白な我々若い官僚が、日本の国を守るために舵取りをしなければいけないという独善的な使命感に燃えていたのです。そういうふうに国民を信用しないわけですから、国民の代理である政治家も信用しません。」

ここにも宇宙の法則が見て取れます。どういうことかというと、出したものがそのまま返ってくるのです。

ロシア革命ではないのですが、官僚はおそらく自分たちが手に入れた特権が瞬く間にとられてしまうと恐れたのかもしれません。失うことへの恐怖です。そこから国民を信用しなくなりました。彼らの感情の奥深くにあるのは、排除されることへの恐れ、信じることができない悲しみ、認められない虚しさでしょうか?

国民も同じように、この思いを抱いているのではないでしょうか?官僚から自分たちが排除されてしまう恐れ、自分たちのリーダーが自分たちを裏切っている、信じることができない悲しさ、これだけ一生懸命働いているのに、認めてもらえない悲しさ、こうゆうエネルギーをお互いがやりとりしているように思います。

難しい理屈ではなく、実はシンプルな感情のやりとりだったと思います。

同じ事は、「官僚と政治家と国民」の三つ巴の間で取り交わされているように思います。

これは誰か1人が、気づいたものがこのマイナスエネルギーのやりとりを止めていくと、マイナスのスパイラルが止まっていきます。

稲盛氏はこう続けます。

「結論から言うと、日本を自己改革するには選挙民である我々国民が、まず自己改革しなければなりません。日本の国を悪くしてきたのは、何の事は無い、実は私達が悪かったのです。」

→その通りだと思います。ここを認めていくことから全てが始まると思います。人間として何が正しいのか、広い視野で考えること、これが必要だと思います。その上で、官僚に対しても政治家に対しても、良いものは良いと素直に認め、悪いものは、よくないと判断する心、やめていく勇気が持てれば、プラスのエネルギー循環に変わっていくと思います。

沖縄はまさに日本の縮図だと私は思っています。人間として何が正しいのか、このベースに立って、自分の信念について考える必要があると思います。そして、自分のベクトルを外に向けるのではなく、自分の内側に向けることが必要です。

なぜそれがダメなのか、それがどう危険なのか?その仕組みを続けていくとどのような不都合が起こるのか?そしてそれは本当なのか?自分が本当に恐れているものは何なのか?

これを書きながら、私は自分自身にも問い続けています。だから、稲盛氏の最後の一言が腑に落ちるのです。「日本の自己改革をするには、我々国民の自己改革がいる」

自分の自己改革とはなんでしょうか?これは自分の考え方を見直すことだと思います。すでに身に付けたものの中で、断捨離を行うということだと思います。

本当に必要なものは何か、それが本当に必要なのか、なぜそれが必要なのか?時間とエネルギーは、自分が敵だと思ってる人たちに向けるのではなく、自分自身に向けていくのだと思います。

これが自己改革になり、自分の人生の充実につながるのではないかと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。