あの人は人の手柄を横取りする、話したことが全部上に筒抜けになる…もうあの人と仲良くするのはやめよう、ギク!これもしかして昨日の私じゃない? と思った方、このイライラ解消しましょう!あなたの結界クリーナー、ユキーナサントスです。

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今日は、自分の周りに結界を作ること、その良し悪しについてお話しします。

合気道から考えると、結界を作ったら、問題が解決しないということです。一見自分のために見えて、自分のためにはならない、ということです。

昨日、合気道の稽古に行く前に、車の中で講演録を聞いていました。ロシアの情報の鎖国についてです。ロシアは自分たちの国から情報を出さない。SNSなど共通のプラットフォームを持たない、といっていました。

自国の中に囲い込む、その心理について考えました。自国の中で完結したい、エゴイズムのようにも見えますが、その裏には恐怖があるように思いました。自国が他の国と垣根がなくなって平和を乱される不安、自分たちが大切にしていたものが、出ていってしまう不安、このような不安があるのだと思いました。

 

そしてこの後、奥武山の道場について、合気道のお稽古を始めました。この日の山口先生の話で、沖縄県の人々の話になりました。

沖縄県の人々は、自分たちの範囲を定めたがる。自分の周りに結界を作りたがる。ここから先は他人が入ってはいけない、という範囲を決めたがる。けれどもこれは同時に、自分の行動を狭めることになる。ここから先は、自分たちも出ることができない。そうするとどういうことになるのか? 狭い世界で生きなければいけない。広い視野を持つことができない。経済的にも精神的にも自由が制限される。このようなお話でした。

自分が!!自分が!!!と言い張っていると、自分も外に出ていけなくなる。結界を張っているとそれは自分も限定することになる。


あー、これはロシアのケースと同じだなと思ったのです。人を自分のテリトリーから締め出す、それは一見自分たちの利益を守ることのように見えます。しかし、よく考えてみると、それは自分の行動を制限することにもなります。

自国から何も出さないようにする、これは一見自分たちの利益を守っているようにも見えます。けれども本当は、自由を奪っていることにもなるのです。

 

文化的背景や宗教に根ざした民族や国民性、ここから国際政治を読み解く姿勢を、地政学・リテラシーといっているようです。ウィキペディアを参考にして、私の方でこのように考えました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6

ロシアの例も沖縄の例もこのリテラシーの考え方がもとになっています。違いは、片方は巨大な大陸の国であり、片方は小さな島だと言うことです。それでもやっていることを同じなのですね。

そして私にはどちらにも、同じ心理がみえます。

外の世界へ引っ張り出されることの怖さ、そして自分たちの世界を犯されるという怖さ、ではないでしょうか?

さて「この結界を作る」ことと合気道について考えました。

合気道は全く反対の方法をとります。相手をまず受け入れるのです。相手を全て自分の中に受け入れてしまいます。そのためには自分の心と体の中が空っぽでないといけません。そして相手と争うものが何もない、このような状態を目指します。

だから、自分の周りに結界を作ったら、合気道はできません。言い換えると、自分が無意識に作った結界を取り除くために合気道をするのだと思います。

なぜ結界を取り除くのか?

皆さんお分かりだと思います。結界の中にずっととどまっていては、自分が成長しないですね。一度しかない人生を、決められた範囲の中で毎日同じように生きていく、これも人生です。

けれども私は、天が私に与えてくれた能力をいかに世のため、人のために使うか、そして自分の心と体が真底満たされるか、これを追いかけていきたいと思います。

具体的には、とてもシンプルですが、この呼吸法です。これはヤラセではないのです。山口先生の手を上から押さえつけます。そして動かないようにしようとします。けれども山口先生が脱力しているので、自然ととらえている部分から力が抜けて、自分のバランスが崩れます。そして知らず知らずのうちに倒されてしまうのです。

忖度と呼吸法、Sontaku should be brought to Kokyu ho lesson!!

AiBis net workさんの投稿 2017年10月28日土曜日

この不思議な合気道を体験してみたい方、ぜひこちらまでご連絡ください。

ytomizuka@abrilsjp.com

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。