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今日は、幸せのかたちについて考えてみたいと思います。

ずばり、幸せは自分自身の心が決める。本当の幸せは何か、それは自分の心が知っている、これではないでしょうか?

 

さて、この内容をお話しするのに、柴門ふみさんの漫画のエピソードと私の元先輩のお話をしたいと思います。昔、柴門ふみさんの漫画でこのような話を読みました。

ある男性が、別れた元の彼女の後をつけます。ずいぶん歳上の男性と結婚した彼女です。どれほどいい男なのか、俺を振ってまでも付き合う価値のある男なのかどうか、自分の目で見て確かめて、心の落とし前をつけようとしたようです。外出する元カノとそのご主人の後をつけます。電車に乗りました。車両がそこそこ混んでいました。夫婦の目の前の席があきます。ご主人が何のためらいもなく真っ先に座ります。主人公の男性はムカッとくるわけです。女房を座らせてあげるんじゃなくて自分が座るのか、自分勝手な男め!!

けれどもしばらくして、男性がさっと席を立って、奥さんと交代します。主人公の男性は、あれ?!、そういうことだったのか…と肩透かしを食らったように思うわけです。

2人は電車を降りて、自分の家まで手をつないで楽しそうに歩いて帰っていきました。

この主人公の男性は言いようのない敗北感を覚える、こんな話だったと思います。

 

今になって考えると、勝ち負けではないのだなと思います。その時の彼女を、主人公の男性は幸せにすることができなかったけれど、ご主人となった男性は幸せにすることができた。少なくとも彼女本人はそう感じていた、そういうことではないかと思います。

言い換えると、女性にとっての幸せが何か、これがご主人となった男性には分かっていました。けれども主人公の男性にはわからなかった、少なくとも彼が思う彼女の幸せは、彼女にとっての本当の幸せではなかった、このようなことだと思います。

どちらかの男性が良い悪いではなく、ましてや選ばれた選ばれないではなく、必要な出来事がその人の人生に起こっているのだと思います。

そしてここで思い出したのは、かつて職場で一緒だった先輩です。

日本の国内大手不動産コンサルティング会社で30年以上働かれました。私はもちろん同僚であったので働きぶりも、いわゆる中間管理職としての仕事のストレスも、端から見ているだけですがよく存じ上げていました。当時はモラハラも、パワハラもそれほど厳しく言われていなかったので、スルーされることもたくさんありました。けれども私が横で見ている限り、大変なんだろうなと思うことが、この同僚の方にはたくさんあったと思います。

数年前、この日本の企業をやめて、田舎に帰り、とても眺めの良いカフェレストランをオープンされました。数年前に東京で知り合った奥様と結婚して一緒に行かれました。今は、お子さんも生まれていると聞きます。

FacebookやTwitterで見る限り、今の方がのびのびとお仕事をされていて、幸せそうだなと思います。サラリーマンの時とは違う種類の悩みをお持ちだと思います。けれども、毎日をわくわく過ごされているようです。かつての苦労の時期を知っているので、私はうれしく拝見しています。

 

私が留学を目指して勉強を始めたのは2000年位の時でした。その時は英語のスコアも伸びない、勉強の時間がない、仕事は楽にならない、と私は苦しい思いをしていました。その時に、頑張れと応援してくれたのが、この先輩だったことを思い出しました。

今、この先輩の充実した毎日を見て、「しあわせのかたち」を思うのです。もしも今日、自分の人生が終わってしまうとしたら、どんなふうに命を使うのか、これを考えさせられます。毎日真剣にこれを考えて生きているのか?命を使っているのか?と思います。

柴門ふみさんの漫画と元同僚の脱サラ幸せ生活、この2つから「幸せの形」について考えました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。