あの人だけは、どんなことがあっても許せない、これって自分のことじゃないか…?と思ったあなた、あなたの晴らせない恨み、一緒に向き合っていきましょう、心に寄り添うカウンセラー、ユキーナ ・サントスです。

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昨日は、弁護士の中坊公平さんのお話をしました。今日はこれを別の観点からお話をしてみたいと思います。

それは、争いの中に幸せは無い、ということです。なんだか哲学みたいなタイトルになりましたが、一つ一つお話をしたいと思います。

昨日と同様、講演会の記録からです。

ある日の夕暮れ、父と私の前を農家の家族が歩いていました。それを見た父が、「なぁ公平、世の中で幸せと言うんはあんなことを言うんや」となぜかしんみりと言うのです。その家族は、その日に取れた作物と子供を乗せたリヤカーをお父さんが引っ張り、お母さんがその後をおしていました。横にはおじいさんが鍬を担いで歩いています。それを見た父が「幸せとはこんなことを言うんや。親にとっては、子供が自分と同じ職業についてくれるのが1番嬉しいんや」と言ったのです。私は70歳まで生きてきましたが、自分のキーワードは「幸せ」だったと思いますし、それを教えてくれたのが農家の家族であり、その時の父の言葉であり、ブッセの詩でした。同時に、父の言葉を聞いて自分も弁護士になろうと思いました。身近なところにいる人を喜ばせよう、自分が弁護士になることで父がそんなに喜んでくれるのならそれでいいじゃないか、その思いだけで私は弁護士になりました。

 

ここを読んで、涙が出そうになりました。私の家はガソリンスタンドをやっていました。夜になってお店を閉める時、スタンドの中を父が引くリヤカーに乗って回りました。お店にはおじいちゃんも私の母親もいて、姉弟も一緒にいました。そして今から考えても「幸せ」とはそういうことだと思います。そして今、私は毎日がとても幸せです。こう思うことができる、それがとてもありがたいなと思うのです。

森永ヒ素ミルク事件から。。。「世の中というものはもっと根本的に考えなければいけない、と私はその時に思いました。法とはそもそも何なのか、裁判とはもともと何なのだろうか、弁護士とは一体何なのだろう…この裁判をきっかけに、私が初めてそのようなことを根本的に考えるようになりました。そして、法というものは所詮道具に過ぎない、裁判の本質は納得であって、それのない裁判は暴力団の暴力と同じだ、そして弁護士とはまさに市民との接点にあるもので市民側に立つものだ、と思いました。また、被害者の目線で見ることがどれほど困難であるかと言うこともわかりました。私たちは無意識のうちに、お金が儲かればいいと思っていますし、自分が正しいと思っているのです。」

被害者訪問と自らを責める親たち、ここに書かれている項目は、本当にリアリティがあります。おそらくそうなのだろうなということが実感としてわかります。赤ん坊が泣きながら手で払ったミルクを、無理やり飲ませてしまった母親は、生涯そのことで十字架を背負っていかなければならないのです。第三者の専門家ができる事は、このような母親の気持ちに寄り添うだけなのかもしれません。

 

私は、子供の時に将来弁護士になりたいと思いました。姉や周りの人から、社会的地位がとても高い人のように聞いていたからです。けれども、今弁護士に近いような仕事をさせていただいてます。いつもいつも、こうして専門家のところに来なくても、この方の解決策はあるのになぁ、と思うことがあります。そして幸せの意味を考えさせられます。争って、法廷の場でかったとしてもそれがほんとに幸せなのでしょうか?中坊氏が自分の人生のテーマは「幸せ」だった、とおっしゃることの意味がよくわかるように思います。今回のこちらの公演内容は、本当に共感するものでした。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。