あーもうダメだ、何をやってもあの上司にははがたたない、何をやってもこの人とはわかりあえない、こんなふうにため息をつくあなた、あきらめる前に、ちょっと見方を変えてみませんか?あなたのためのゲームステージプッシュアッパー、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、行き詰まらない知恵について考えてみたいと思います。

それは究極には自然の法理法則に気づくことです。人間の体は、行き詰まらないようにできている。これです。

もうダメだと思っても、まだまだ動くところがたくさんあるのです。これをどうして動かなくさせるのかというと、自分たちの思い込み、先入観があるからです。われわれが「形と答え」を持っているからです。

 

具体的に説明しますね。京セラの名誉会長、稲盛氏はこのようにおっしゃっています。

雑草でさえも、全てが一生懸命に「生きよう、生きよう」と努めています。そのような草は、隣に生えている草を打ち負かそうなどとは思っていません。ただ、自分が陽を浴びようとして、精一杯、葉を伸ばしているだけなのです。周りの草も同様に、必死に生きようとしています。自然界では、そのようにして皆一生懸命に生きています。

 

そこでは、「もういい」と頑張ることを諦めたものは、滅んでいかざるをえません。自然界というのは、もともとそのようにできているのです。つまり、「適者生存」が自然界のルールなのです。

「どんなに辛く、苦しくても絶対に負けない、必ずやり遂げてみせる、という激しい闘志を燃やさなければなりません」とあります。

これは、「行き詰まらない知恵」だと思います。合気道の山口先生はおっしゃいます。

「手首をつかまれた時、手首を動かそうとしたら行き詰まる。手首を動かさなくても肘は動く、肩の関節も動く、肩甲骨も動く、腰骨も動く、踵から下半身まで、手首を掴まれても他の部分はすべて動く、これは全部、行き詰まらない知恵なんだよ。。。」闘志を燃やすとは、このような知恵に気づくことだと思います。

もうダメだとニッチもサッチもいかないと思っても、そこを乗り切る知恵というのは必ず体の中にインプットされていると思います。自然の法則では、ピンチを乗り切る知恵が生き物にインプットされているのだと思います。

これに気づいてその知恵を実行していくこと、これがここでいう闘争心なのだと思います。あぁそうか、ここにピンチを乗り切る知恵があったのか!!自然は自分の中にこのような仕組みを入れ込んでいてくれたのか、と思うと自分に困難をもたらせた相手が憎くも何もなくなります。私たちは困難を乗り越えることができますが、遺恨は残しません。ここで言っている闘争心とは、自分たちに埋め込まれている自然の摂理、知恵に気づき、自分の目の前に向かってくる困難を乗り越えていくことなのかなと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。