派閥争い、出世争い、こんな世界がほんとに嫌だと思うあなた、心の平安を取り戻しませんか、あなたの心のピースボート、、 ユキーナ ・サントスです。

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今日は、争う事と大こと、日本人の心について考えてみたいと思います。

つまり、和を求める心が日本人のDNAの中には流れていて、それはこの宇宙にも流れているのだと思います。

 

今日は改めて、合気道の考え方について皆さんとシェアしていきたいと思います。

合気道は植芝盛平氏が開祖となり、日本の古来の武道、柔術等を取り入れて発展させた精神武道です。なぜ精神とつけるかというと、反射を除き、体の動きの全てを支配するのは感情、意思です。そしてその思いを支配するのは心、精神です。その意味で合気道は動禅と言われています。

何かスポーツをしようと思ったら、どのような体の動きをしたらいいのかを学びます。その体の動きには、意味があって理由がある、それを頭で理解することでよりスムーズな動きができるようになります。これがスポーツ上達のプロセスだと思います。

けれども、単純な体の動きを学ぶよりも、その動きのもとになる精神を整える、この精神に、柔らかさと無限の広さと自然の法理法則を合わせると、それが肉体の動きになります。これが合気道です。

開祖はおそらくここまで合気道を高めたのだと思います。精神性を肉体で表現する、実体験として理解する、これはとても難しい作業です。ですからある部分では、誰にでも分かりやすくパターン化する必要があったのかもしれません。パターン化、ある意味のスポーツ化というのは二代目の指導者の時に進んだと私は聞いています。

 

そこから合気道は、力と形を追い求めるようになりました。合気道は脱力が大切、力を使わない武道、といわれますが、ほとんどの合気道は、力を使い、形を求めています。

自然を見てみてください。植物にしても、動物や昆虫にしても、そして我々人間にしても、何もかも同じコピーはありえないのです。同じフォームや形は何一つありません、それぞれの適正に応じて、自然は我々生き物が役割を果たせるように、そのように作っているのです。

けれどもそれは、特定の人たちにはわかりにくいものかもしれません。和辻哲郎さんの「風土」という評論がありました。この考えに立つと、自然との向き合い方が日本と西洋では違うというのです。西洋は自然をいかに征服し克服するかというのが生活のテーマでした。けれども日本は自然といかに共生するか、自然といかにハーモニーを作るかこれがテーマになります。今ある自然そのものを生かして、そこにいかに人間が合致していくのか?これが日本人の自然に対するアプローチだと和辻哲郎さんは言うのです。海外でよく見かける庭園などを見てみると分かりやすいと思います。植物をきっちりと円錐形に切ったり、見事な正方形の形にしたりして、その対称性の美しさ、人工美の美しさを見ていくのが彼らの自然との接し方だと思います

一方、日本はすでにあるものを壊したりはしません。山の傾斜に合わせて屋根の傾斜を作ったり、すでにある松の枝振りにあうように池を作ったりします。

この基本的な姿勢は合気道そのものです。自分の都合に合わせて相手を変えようとはしません。そうではなくて自分が変わることでハーモニーを生み出す、これが合気道の基本姿勢です。

DNAの中に、力で一定の形を生み出す、自然を征服することで自分が美しいと感じる美を生み出す、このような姿勢がある方にはなかなか受け入れ難いかもしれません

そしてとても悲しい気持ちになるのは、日本の精神性の合気道が、力と形になってしまっていることです。西洋の人たちには、力と形を使うことが1番分かりやすいと思います。なぜなら自分たちのDNAの中に、すでにその感覚があるのですから。

合気道が1つのエンターテイメントで、覇道を競うものであるなら、力と形に終始して全く問題ないと思います。

けれどもここで考えたいのは、何のために合気道をやるのかということです。合気道は護身術のために身に付けて、もちろん問題ないと思います。けれどその深いところは、自分の人生に役立てるためです。どうやって人と調和を見出していくのか、自分の愛する人とどうやって関わっていったらいいのか、これを学ぶために合気道があります。

これを求めるなら、力と形の先には何があるのかを考えてもいいと思います。力と形で相手を押さえつけること、これをトレーニングして身に付けることに何の意味があるのか?これを考えてみることが大切だと思います。そうすると悲しいかな、自然とこの「力と形」を目指してしまう人たちのDNAというのは、やはり覇道、修羅道の延長だと思わざるを得ないのです。

 

仏教では、修羅道は人の世界のさらに下であると考えています。

人間よりも下のレベルで覇を競い、戦いに明け暮れる毎日をするのか、それとも人間のレベルに1ランク上がろうとするのか、開祖が求めた道はどちらなのかと思うのです。

長くなってしまったので、続きはまた次回にしたいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。