お盆で実家に帰るのは本当にイヤだ!また子供の事や夫(妻)の事などいろいろ言われるかと思うとブルーになる、あなたのブルーな気持ち、ほんわか嬉しい気持ちに変えていきましょう!あなたのメンタルチアリーダー、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、先祖について考えてみたいと思います。

親や祖父母、おじさんおばさん、自分に縁のあった人を考えてみると、今の自分の人生のミッションが見える、このように思います。

開運アドバイザーの川相ルミさんから「このお盆のときには、先祖に思いを馳せて、じっくりとその魂に寄り添ってみると良い」と言われました。

これを素直に受け取って、先祖のことを考えてみたいと思います。
富塚家は地元でも名士だったそうです。明治のころでしょうか、富塚家には男の子がいなかったので、娘に婿を取りました。私のおじいさんとおばあさんです。私の父親も含めて、4人子供が生まれました。

その後おばあさんという方は家を出てしまいました。私のおじいさんが新しい奥さんをもらい、私の父は小さい時から自分の母親に会わずに大人になりました。

小さいときには、母方の親戚のおじさんが父の勉強を見てくれたそうです。その人が偉い人で、決して自分に手を挙げる事はなかった。いつでも面倒を見てくれた。そして、勉強しないとだめだぞと言って勉強も見てくれた。俺は勉強しないで、うとうと眠っているときに、すっと背中に水を入れて俺に目を覚めさせる。俺はびっくりして飛び起きる。「さぁ、カナボウ(私の父のあだ名) もう一回勉強しよう」そう言って俺の勉強を見てくれた。決して殴って俺を叱る事はなかった。

この大叔父さんは、とても頭の良い人だったと聞きました。東大でインド哲学を勉強していたそうです。仏教のもとの経典ですよね。私が今こうして、フィロソフィーに興味を持つのも、仏の道を深く考えたりするのも、こうした血筋なのではないかと思うのです。

 

このおじさんが、好きだったものはクラシック音楽のボレロだそうです。

どういうわけか、私もラベルのボレロは大好きでした。最初は小さなメロディーから始まってこれが次第にクレッシェンドになるわけです。自分の人生もこういきたいと思いながら、昔のカセットテープで聞いていました。私が家でボレロを聞いていた時に、お父さんが私に言いました。「ゆうちゃんよ、これは本家の重さんが大好きだったんだよ。ずっとこれを聞いていたよ。」当時は、ふーんとしか思いませんでしたが、今考えてみるとご先祖様にとても守られていたのかもしれません。この重おじさんは戦争で亡くなったと聞きました。

私が小さい時は、私の父親も母親もずっとお店で働いていました。本当に朝から晩まで忙しく働いていたので、私は母親に面倒をみてもらったという記憶があまりありません。三女の私を小さい時に面倒を見てくれたのは、おじいさんのお姉さん、茅ヶ崎のおばあちゃんでした。

このおばあさんは私の母に言ったそうです。「良子さんよ、祐子はほんとに賢いよ! 男だったら三男の三郎で、立派な跡取りになっただろうよ!」言葉の端々が違うかもしれませんが、このような意味のことを茅ヶ崎のばあちゃんが私の母に言っていたそうです。

私の小さい時に、このような思いが私の潜在意識に刷り込まれたのかもしれません。賢く生きよう、聡明でいよう、こんな思いは潜在意識に刷り込まれて、自分の人生の目標になってきたと思います。

本当にありがたいことです。私自身には子供はいませんが、私の受け継いだDNAは、私の兄弟の子供、そのまた子供に引き継がれているのかもしれません。とても嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいになります。

先祖のことを考えて、時間を過ごすこともとても大切だと思いました。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。