新しい年になっても、なんだかやる気が出ない、おめでたくもない…とブルーな気持ちになったあなた、新年の舵取り、ぐっとポジティブにやってみませんか? あなたのライフナビゲーター、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、新年の方向を決めていくヒントお話しします。

それは人の心を考えてみるということです。人の心は、究極的に悪なのかそれとも善なのか? 私は、深層意識、魂は常に善を求めると思います。

雲をつかむような話なので、具体的にお話をしていきます。

私は今、ブラジルにいます。そしてブラジルで見た、とても縁起の良い夢の話をしたいと思います

船に乗って渓谷のようなところを川下りしています。日本のどこか、秘境と呼ばれるところなのだろうなと思います。周りには緑が多くて、晴れて太陽の光が差し込んでいます。

川幅が狭く、船がやっと通れるか通れないか位の幅です。両側、断崖絶壁のようなところです。茶色の岩肌が見えています。その船に乗っている人が、「もうすぐ先が、松尾芭蕉が『静けさや』の句をよんだ有名な川底の場面ですよ」といいます。

これを言った方は、私のよく知っている方です。私の中では、その方はお坊さんで、心の中でこの方のことを「住職」と呼んでいます。もちろん本業は別ですが。。。

そして川が左側に蛇行していて、船がそこに差し掛かります。案内された場所に船が入って行きます。川幅がちょっと右側に広くなりました。右側の岩肌に上流から流れてくる川の筋がたくさんあります。そして川の流れを受け止める水たまりのようなプールが、あちらこちらにあります。そこに水が溜まり、勢いが弱まって、緩やかな傾斜を作って、岩肌を降りて行きます。なるほど、こうやって水の勢いを弱めていくのだなぁ…、自然界では、こういう仕組みができているんだなぁ、と私は、自然の摂理に感動します。

そしてたくさんの川の流れの筋が岩肌を這って、下につながっています。

その下に川底があり、きれいな水が溜まっています。光を反射しているようです。水がとても澄んでいます。とてもきれいだな、美しいなぁ…という思いで、その川底を見ています。この船がグラスボートだったら、川底に何があるのか、見ていけるのになぁ…こんな風に私は思いました。

こんな夢です。川底という言葉と、俳句を読んだ場所?これが気になって、インターネットなどでこの意味を調べてみました。

海底や川底は、自分の潜在意識やその下にある深層意識を表しているそうです。水は感情や気持ちを表しているそうです。

あらゆる人の思い、感情、その方たちの潜在意識がつながり、深層意識を形成している。私の潜在意識はそれに気づいていて、深層意識や魂がとても美しいものだと信じている、岩肌を伝う水流や川底は、このように解釈できると思います。

水の流れを変えるプールですが、人々の感情を集めて、取り上げることで、その流れの方向性を少し緩めることができる、これが今、まさに私がやろうとしている、そしてこれから注力したいと思っている、メンタルブロックの解消かもしれません。

川幅は右側に広がっていました。これは右脳の領域を象徴しているのだと思います。

さてここで、気になるのが松尾芭蕉の句です。水底や川底を詠んでいたのでしょうか?ちょっと気になって調べてみました。

おそらく私がこれだと思っていた句は、こちらでしょう。

「静けさや、岩にしみいる蝉の声」
どこにも、水や、川底などの表現がないのです。

けれども、NHKのテキストレビューには、こんな解説がありました。

やかましいにもかかわらず芭蕉が「閑さや」とおいたのは、この「閑さ」が蝉の鳴きしきる現実の世界とは別の次元の「閑さ」だからです。そこで本文に目をもどすと「佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ」とあって「閑さ」は心の中の「閑さ」であることがわかります。

芭蕉は山寺の山上に立ち、眼下にうねる緑の大地を見わたした。頭上には梅雨明けの大空がはてしなくつづいています。そこで蝉の声を聞いているうちに芭蕉は広大な天地に満ちる「閑さ」を感じとった。本文の「佳景寂寞として」、あたりの美しい景色はただひっそりと静まりかえって、とはそういう意味です。このように「閑さ」とは現実の静けさではなく、現実のかなたに広がる天地の、いいかえると宇宙の「閑さ」なのです。梅雨の雲が吹きはらわれて夏の青空が広がるように、突然、蝉の鳴きしきる現実の向こうから深閑と静まりかえる宇宙が姿を現わしたというわけです。

もともと、この句は、自分の心の中の静けさ、宇宙感などを歌ったものだということです。そうだとすれば、私がこの風景から感じた思いと一緒です。人々の心の中の潜在意識、その下には深層意識があり、それは宇宙とつながっている。

松尾芭蕉も、おそらくこんな宇宙感を感じていたのではないでしょうか?

山の中のお寺に苔がむしている。岩が連なっている、それは私が見た風景とよく似ています。あるいは、岩にしみいるとなっていますが、本当にその句を読んだのは、あるいは私が見た風景のような岩肌を伝う、水の流れなのかもしれません。

 

そして澄んだ川底を見て、「静けさや」とよんだのかもしれません。最近、山形のお仕事のご縁もいただいております。この夢を見て、そして松尾芭蕉のこの句の解説を見て、山形に行ってみたい気持ちになりました。

新しい年は、そして世界は心の動きに目を向けていく時代になるのでしょうか?そしてその人の深層意識の深いところは、とても澄んで美しい、宇宙のように。。。

これが、新年1番でいただいたメッセージのように思いました。皆さんと共有させていただきます。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。