あんな生活をしているなんて、なんだかかわいそう、こんな自分の気持ちに気づいたら、あなたのメンタルブロックを緩めるサインかもしれません。罪悪感から解放されましょう。あなたの罪悪感リムーバー、 ユキーナ ・サントスです。

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今日は罪悪感と金銭感覚、これを掘ってみたいと思います。

ぼったくり、と思ったら、あなたのメンタルブロックと深くかかわっている、ということです。

前回、最後の晩餐の観覧料についてブログで書いていました。

 

それは、今となっては65ユーロ程度する料金です。

 

私の記憶でも、かつては15ユーロ程度だったような気がします。

 

それがここまでの値段になってしまったのは、ぼったくりじゃないか?という考えです。けれども、一見ぼったくりのように見えるのですが、そうではないでしょう、とお伝えしたのです。何故かと言うと、レオナルドダビンチの傑作ですから、65ユーロ出しても高くないと思う人はたくさんいるでしょう。そういう人を選別するにはこの価格付けは最適なのです。そして教会にとっても修復費など維持管理費が賄えます。だから、このぼったくりのビジネスもあながち悪いわけではない、これが結論でした。

 

さてその時から、ずっと考えています。

それは、フランダースの犬のネロをどうするか?ということです。ちょっと説明が必要だと思いますので、フォローしますね。フランダースの犬というのはカルピスこども劇場で大人気になったアニメドラマです。貧しく生まれた少年ネロには絵の才能があります。

けれども貧しいので、絵の勉強はできません。このネロ少年に、おじいさんの死であったり、すむところを追われてしまったり・・・とこれでもかという位、不幸が訪れます。

ラストは、涙なしでは見られないような終わりです。

このような少年が、一目レオナルドダビンチの最後の晩餐を見たいと思ったら、やはり見ることができたほうがいいと思うのです。けれども、65ユーロの料金設定では、ネロ少年は一生かかっても見れないかもしれない、と思うのです。それは彼にとってあまりに酷ではないか、と考えるのです。

でもここまで考えてみて、ふと思いました。このネロ少年のような立場の人を気の毒がったり、哀れんだりするのは、自分の思い上がりではないかと。

 

もしも、ネロ少年の絵画への情熱が本物であれば、どんなことをしても有名絵画を見るでしょう。彼の思いが強ければ、その思いが成就するはずです。その少年自身の思いの強さ、自分力を信じないで、気の毒だ、この人にはできない、と決めつけてしまうのはあまりにも失礼だと思います。そこには自分の思い上がりがあるのだ、と今わかりました。

 

そうすると、やはりこの料金設定が正しいのです。

 

本当にこの絵画を必要としている貧しい人でも、その人の思いと情熱が強ければ、実現するのです。

川端康成の小説、「神います」がこれです。「何年も前に自分が少女に怪我をさせてしまった。」この罪の意識に悩む男がいます。被害者である少女を気の毒がっているのです。でも何年か後にこの少女と再会します。そして、この少女と歳の離れた亭主が幸せそうにしているのを見て、この男は涙を流すという話です。涙を流しながらこの男がいます.「神よ、我は御身に負けた」

人は皆、自分の人生を一生懸命生きています。自分の選択を受け入れて、自分の人生を一生懸命生きようとするとき、神は人に味方をしてくれます。思いは必ず届くし、自分を不幸にするのは自分でしかないのです。

このことを、今日深く考えました。

世の中の事はあるいはすべてこのようにして回っているのではないかなと思いました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。