女って本当に損だよな、いろんなことで差別されるし、頑張っても男性ほど評価されないし…こんな思いでため息をつくあなた、あなたの悔しさ、しっかりお話しして手放してみませんか? あなたのリベンジトレーナー、ユキーナ ・サントスです。
セクハラ、パワハラの言葉が耳につくようになったら、相談してみませんか? カウンセリングやってます!
最近、女性のトップマネジメントとしての役割について考えています。女性が社長業、管理職等で活躍する場面について考える機会が多いなと思います。そこで出てくるのは、女性が差別されると言う意識であり、その差別の根っこは深いのではないか?と思うのです。
つまり、女性がリーダーや管理職の地位に着くのは、その奥に女性性の否定があるということです。自分が女性であってはいけないと思うような出来事があり、それがブロックになって落としこまれ、現在の自分の地位を作る機動力になっているのではないか?と思うのです。社長と管理職は全く違うと言われます。私もその通りだと思いますが、ここでは話を簡単にするために、1つのカテゴリーとして管理職等ということで話しを進めたいと思います。
さて、元はと言えば、カウンセリングのテーマで女性性の否定を考えていたからです。
ここしばらく、女性性の否定について考えています。カウンセリングなどでも、ときどきこのようなケースを拝見いたします。
人のメンタルブロックは、概ね6歳位までの間に出来上がると言われています。幼少期に、
自分は女性であってはいけない、女性であることは罪だ、
女性であると自分の両親や大切な人から愛されない
女性だと損をする
女性は差別される
女性だと悲しい思いをする
こう深く思うような体験をしたとします。このような体験は潜在意識に浸透しますから、人は無意識のうちに、自分の女性性を否定するような言動をしてしまいます。
行動や趣味が男の子のようになったり、
あえて女性らしい服や髪型をしなかったり、
女の子の友達と遊ぶよりも男の子に混じって遊ぶようになったり
自分が男の子だと意識して人生のいろいろな選択をしていったり、
このような言動を見ることができます。
なぜこれを今、しみじみと考えているかというと、私自身がそうだったからです。
私の実家は商売をしていました。私のおじいさんがいわゆる創業者ですが、もともとやっていた商売を分家してスタートしたので、おじいさんの親の代から続いていた商売でした。
おじいさんの代で何度か商売を変えます。自転車屋をしていたり、駄菓子屋をしていたことがあったと聞きました。最終的にはガソリンスタンドをやりました。これは私たちの家が幹線道路の角地に面していたこともあって、当時にしてみたらずいぶん繁盛したのかもしれません。いわゆる日本の高度成長期だったので、商売も順調にうまくいったことだと思います。
私のおじいさんは今から40年位前に海外旅行をしたりしていたので、それなりに羽振りが良かったのでしょう。
母はそこに嫁いできました。長男の嫁です。跡継ぎができないのかというのは散々言われたと思います。最初に生まれた子は女の子でした。年子でその後も女の子が生まれました。そこから4年経って子供ができました。母親も父親も今度こそ男の子だろうと思っていたのではないでしょうか?
そこに生まれたのが三女の私です。母親も無意識のうちに、「長男を生まなければ自分がこの家にいる価値がない」と思っていたのかもしれません。そうした意識は、胎盤を通じて私に流れてきたのかもしれません。
そして同時に母の中では、女性であることの悔しさもあったのかもしれません。女性だから嫁に行かなければいけなかった。そして嫁だから嫁ぎ先でこれだけいじめられる、下に見られる、こき使われる、こんな思いがあったのかもしれません。
いまだに母は、「家にいたら店に行け、店に行けとおばあさんから言われて、お前たちをかまってやることができなかった」といいます。
母の中にはいろいろな思いがあったと思います。
自分がこれだけ働いているのに、なぜちゃんとお給料が出ないのか、
働いていない姑にこき使われて悔しい
女に生まれたばかりに、こんな苦労しなければいけない、
こんな思いは母親の中にあったのかもしれません。
さて長くなってしまいましたがここまでが前置きです。ここから私の女性性の否定について考えてみます。
子供の時に、女性であってはいけない、と強く思った出来事にはどんなことがあったのかな。。。?私はつらつらとこれを考えています。
一番先に思いつくのは、おかっぱ頭でしょう。3歳の七五三の時の写真は、耳の下位でおかっぱに切った髪の私が赤いワンピースを着て、千歳飴を持って立っています。
表情は笑っていなくて、上目遣いでじっとカメラを見ているようです。
当時の私は、髪の毛を長くしたかったのです。お姫様のような長い髪にしたかったのです。母親から言われていた言葉はこれでした。
乞食の子みたい!
髪の毛が目に入ってみすぼらしい!
おかっぱが子供らしくていい!!
そこで、有無を言わさずに、おかっぱにさせられました。近くの床屋で髪を切っていたのをいつも思い出します。
その時に自分の中ではこのように思ったかもしれません。
女の子らしさは出してはいけない。
お姫様のような格好をしてはいけない。
長い髪とドレスをきたら、母親から愛されない。
このように思ったかもしれません。
このときの悲しみや恐れが私の中でブロックになっていたのかもしれません。どのようなことかと言うと、フェミニンであってはいけない。お姫様のような格好をしてはいけない。これだと思います。
そこから40年以上経って、私は、海外でたくさん着物を着ています。七五三の時に着せてもらえなかった着物を今こうして着ているのかもしれません。
海外では、小紋だろうと訪問着だろうと、着物は何でも、めちゃめちゃ褒めてもらえます。たちまち着物クイーンです。
全然知らない人まで私のところに来て、一緒に写真を撮ってくれないかとお願いされます。ちょっとしたセレブです。
あぁそうか、そうなのだなとしみじみ考えます。
どういうことかと言うと、私は無意識のうちに、七五三の時の無念の思いを、発散しているのかもしれません。かまってもらえなかった自分、ちやほやしてもらえなかった自分があまりにも悔しくてかわいそうで、大人になった今、思う存分、そのストレスを発散しているのかもしれません。その時の悔しくて悲しい気持ちを解放して昇華させているのかもしれません。
無意識にとっている行動でしたが、その根っこは七五三の時にあったのだ!!と思い、ちょっと愕然としました。
この女性性の否定が、この後の私の人生でどのように関わっていったのか、明日はこれをお話します。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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