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今日は、どうしようもない世間のしがらみからの流れ方、これをゴッドファーザーから考えてみたいと思います。

どうしようもないことだと思っていても、発想の転換1つで、解決策はいくらでも見つけることができます。マイケル・コルレオーネは、発想を転換することができなかったので、死ぬまで自分の業に苦しんだと言えるでしょう。

マイケルは、本人の意図ではないにせよ、コルレオーネファミリーのドン・ゴッドファーザーになります。そして同時にここから、マイケルの苦悩が始まるわけです。

カルロの暗殺の背景は、前回お話しいたしました。

カルロは、マイナスエネルギーのやりとりがたくさんあったとは言え、結果的に義理の兄を敵に売ってしまったのです。ファミリーの跡取りを裏切って、死なせてしまったのです。

ソニーの暗殺シーンは「ボニートクライド」がベースになっているようですが、137 発も銃弾が打ち込まれたといます。

殺され方から、それまでのやりとりから、マイケルは間違いなく、内部に裏切り者がいるだろうということを考えました。そしてカルロを念入りに見張らせるのです。

裏切り者のカルロは、次にマイケルを暗殺するための連絡を敵のファミリーに入れようとします。そのシーンをマイケルに見つかるわけです。https://www.youtube.com/watch?v=Pf06ov-MJbk

マイケルは、はるか昔からわかっていて、カルロを泳がせ、しっぽ捕まえたと言えるかもしれません。

おそらく、ソニーが襲撃された時から、カルロをどうしようかと考えていたようです。

自分の妹の夫です。自分の姪っ子甥っ子の父親です。ファミリーの一員でもあるわけです。命を取るわけには、いきません。

けれども同時に、自分の兄を殺した裏切り者でもあるのです。partIIIで自分の兄のことを

My mother’s son, my father’s son といいます。それほど、自分の父と母を尊敬しているということと、その最愛の息子と言うニュアンスが見て取れます。

そして、彼らイタリア人からすれば、裏切り者なのです、裏切りものは、恐怖に怯える、それは自分の経験からもわかってるのです、そして恐怖を消そうとその恐怖のもとになる原因、それを消しにやってくる。

カルロにとっての恐怖の諸悪の根源は、コルレオーネファミリーであり、実質の支配権を持っている自分です。マイケルはいつも、自分が消されるかもしれないという恐怖と戦っていたはずです。そしてその恐怖から逃れるには、同じように相手の息の根を止めるしかない、そう考えたのでしょう。

カルロを陥れる時に、ラスベガスに飛べといいます。そして二度と自分の目の前に現れるなと。

義理の弟なのだから、命まで奪う事は無い、フィルムを見ている人もそう思ったでしょう。けれどもマイケルにその選択肢は無いのです。

一番大きな理由は、遅かれ早かれ、生かしておけば自分の命を奪いに来る、ということ、これが大きいでしょう。

もう一つは、カルロを生かしておけば、自分が疑われるからです。ソニーを殺した張本人はカルロだ。これは全員が知っています。そのカルロを生かしておくとなると、自分とカルロとの関係が疑われます。マイケルも実は、カルロと通じているのではないか?マイケルは本当は、自分が覇権を取るために、カルロにソニーを殺させたのではないか?放っておけばこのような噂が流れます。

それを未然に封じるには、カルロを逃すというオプションは、絶対になかったのです。

何度も何度も苦悩したでしょう。自分は抜けることができないスパイラルにはまってしまったと思ったでしょう。けれどもその時に、寝室に行き、眠ってる妻と子供たちの顔見て、お前たちを守るためだと、自分に言い聞かせていたのではないでしょうか?

パートIIとpart IIIで事あるごとに、最愛の家族を守るためだといっていたのは本心であり、これがマイケルの行動を正当化する唯一の理屈だったからです。

マイケルにとっては、恐怖を取り去る事はやむを得ない、理にかなったことで、力対力の世界がどんなふうに終わっていくのか、ここまでの考えは及ばなかったのでしょう。 気づいたとしても、戻るには遅すぎたのかもしれません。

力対力の世界は覇道といいます。覇道は修羅道で終わりなき苦しみの世界ですが、この映画でもそれがラストになります。PartIIIで、どのような終焉を迎えるのか、これを見て私たちは修羅道のおわりに気づきます。

フランシスコポラが、これはアメリカと資本主義を描いたものだといっていますが、それはある意味正解で、お金や数字の価値観だけを追い求めると、人は行き詰まり、自分の業のゆえに悲しみ滅んで行く、これを描いているともいえます。

フランシスコポラと原作者のマリオ・プーゾは、partIIIというタイトルではなく、「マイケル・コルレオーネの死」というタイトルを考えていました。それは覇道を極めた人間の最後とも言えるかもしれません。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。