また海外からお客さんが来る、英語を話せなくちゃいけない、あーほんとに嫌だ…ととってもブルーになるあなた、この憂鬱な気持ちを手放しましょう。あなたのための港のサーチライト、ユキーナ ・サントスです。

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今日は、どうすればグローバル人材として英語を話すことができるのか?これを皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

結論から言うと、常識をいかに捨てるかということだと思います。方法論ではなくて、真実に気づくことだと思います。その真実とは、英語が話せるようになりたいのか、なりたくないのか、強烈な意志があること、これが明暗を分けるということです。

昨日、こちらの国際教養大学の名誉教授、勝又先生の著書を拝読する機会がありました。

最強の英語学習法」
まだ全部読み終わっていません。けれども目次を拝見しただけで、どうすれば英語ができるようになるのか?どうすれば国際社会で活躍できるグローバル人材になれるのか?これについて考えさせられます。なるほどなー、やっぱりそうだよな、と深く頷きながら拝読しています。

そこで、改めて実感した結論をお伝えしたいと思います。グローバル人材となって、英語を話すようになった方と、英語をやらないといけないけど、やっぱりだめだよな、と思っている方、この2人の違いです。

私の経験からのみのお話で恐縮ですが、自分の体験を振り返ってみて、英語が話せるようになるかならないか、その決め手はたった1つ、これだけだと思うのです。

それは、英語が話せるようになりたいと心の底から思うかどうかこれだと思います。具体的に説明していきますね。

先日、横浜に行く機会がありました。これまでももちろん、頻繁に横浜に行っています。けれども今回は中華街の中を久しぶりに通りました。そして思い出したのです。横浜が、かつて自分の憧れの場所だったと言うことを!

私が小学校の5年生か6年生頃でしょうか? 4歳年上の姉に手紙を書いたのを覚えています。当時、覚え始めたばかりの英語を使って、なぜか英語で手紙を書いたような気がします。どのような内容の手紙を書いたかと言うと、横浜に行きたいから連れて行って欲しい、これをしたためました。横浜で何をしたいのか、どこに行きたいのか、これを英語で書いてお姉さんの机の上に置いておいたと思います。

その時のワクワクする感じ、夢見ている自分をクリアに思い出しました。中華街に行きたい、港の見える丘公園から海を眺めたい。船の中に入ってみたい。このような内容を書いていました。

そして、どうして横浜にそんなに憧れがあったのか、それを考えました。
それは、横浜が海外への入り口だったからです。今でもそうですが、当時もいわゆるゲートシティーでした。異国のものがすべて横浜から入ってきて、海外に行く人は横浜に集まる。このようなイメージがあったのでしょう。横浜は私にとって、まだ見ない外国、海の向こうの国をリアルに想像させてくれる場所だったのです。そして同時に思いました。あぁ、私はそんな小さい時から海外に行くことを強く考えていたのだな。海外に行きたい、外国に行きたい、ワクワクするような憧れが自分の中にあったのだな。これを思いました。

海外にいる自分にとって、英語はなくてはならないものでした。そして英語で異国を旅している自分、いろいろな国に行っている自分、これを想像するととってもとってもワクワクしました。

これは自分の中の潜在意識に落とし込まれた、強烈な強い思いだったのです。

そこから中学高校と受験英語を勉強しました。そしてその後、私は不動産鑑定士の資格試験を受けるわけですが、その間はほとんど英語に触れる事はありませんでした。海外、見知らぬ土地に行きたいという思いはあっても、頭の片隅に置いてある程度で、それをメインに考えたりはしませんでした。

けれども資格試験に合格して、キャリアを少しずつ上げていきながら、やはり海外に行きたいという強い思いがまた出てきました。そして、なんとしてでも、どんなことをしてでも、命がけでも海外で勉強したい、このような強い思いになりました。

すべてはこの「強烈な願望」だと思います。このような思いがあるから、留学するためにはどうすればいいのか?英語が必要なら、どの程度必要なのだろうか?、自分の今までの英語がお粗末ならば、どうすれば合格レベルに達する英語になるんだろうか?ここに注力して英語のトレーニングを始めていったわけです。受験英語とは違う、いわゆる「英語界」の英語を学び始めました。英語1からやり直した感じです。このトレーニングは、自分がもう一度やりたい勉強かというとそうではありません。私には辛いものでした。けれどもそれがないと今の自分はありません。つらい英語のトレーニングを何とか続けることができたのも、海外で生活する、働くという強い強い思いと、憧れだったと思います。

それは小学生の時、姉に伝えた気持ちと一緒です。私にとって横浜は、海外への入り口でした。とてもクリアなイメージがあったのです。横浜は私の思いの中で、まぶしいほどライトで照らされていた場所でした。ブルーライトならぬ、クリアなライトが横浜にはあったのです

なんとしてでも、どんなことがあっても必ず海外に行く、この強い思いがあったので、どうすれば英語が話せるようになるだろうか?ここに自分の意識が向いたのです。

英語を話せるようになりたいと思って、英語を勉強する、たくさんの方がこうしていると思います。

けれども実際に話せるようになるか、それともいつも勉強法を探して終わるのか、この違いは、本当にこの1点に尽きるのだと思います。どれほど強い思いを持つか持たないか、これだと思います。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。