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今日は、会社で働くことについてお話をします。雇う側と雇われる側、どんな関係にするのが理想なのか、これをお話しします。

究極の理想型は家族のような関係では無いでしょうか?お父さんとその家族のメンバー、家族自体が=会社になるこんな会社経営ができたら理想だと私は思います。

 

京セラの名誉会長の稲盛氏は、労使の関係についてこのようにおっしゃっています。

そのように、多くの会社組織は経営者と従業員という形になっていますから、そこにはいろんな対立が生まれます。経営者から見れば、協力者は得られませんがそれは当然です。なぜなら「お前は従業員だ。なるべく安い給料で働いて成果をしっかりと上げてもらうぞ」という姿勢になっているからです。Iさんは、たまたま先輩に「定時で終わるように」とアドバイスされ、これまでやってこられただけで、そこまで冷酷非情に、傲慢で強欲な気持ちで、つまりマイナスの考え方で従業員に接してこられたわけではなく、まして自分たちがよければいいと思って経営してこられたわけではないでしょう。しかし意識されていたかどうか分かりませんが、そのような(対立)構造になってしまっていたのは事実です。原始的資本主義がヨーロッパで始まり、経営者とその一族だけがオーナーで、後はみんな従業員ということで対立構造が生まれてしまった。しかしそこで私が考えたのが「全員参加の経営」です。経営者と従業員、資本家と労働者という構造ではなく、みんなが同じ場所で仲間として一緒に経営をしていこうと考えたわけです。「神輿を担ぐ」と言いますが、例えば神輿に乗る人が経営者一人で、屈強の若者を雇って担がせたとしても、お互いに強固な心のつながりはありませんから、いまひとつ盛り上がらないのです。乗っている人も雇われている人も、これでは楽しくもなく活気もないわけです。そのような状態で担いだ神輿が、観客に何の感動も与えないのは想像に難くありません。それより神輿から降りて、みんなと一緒に担ぎ、ベクトルを揃え「わっしょい、わっしょい」と練り上げる方が、もっと価値のある魅力的な集団となるでしょう。会社においては全員が経営者という形態は無いのです。ただ私は商法で決められた会社形態に全員が経営者というものがなくても、「大家族主義」なら良いのではないかと思いました。親父が頑張れば、お袋もがんばる、それを見て子供もがんばる、そしておじさんもおばさんも…その考えを私は京セラ創業時にみんなに訴えていきました。

(コンパには)雇う人と雇われる人、経営者と従業員、資本家と労働者という関係は存在しません。そういったものを超越した、お互いの心があったのです。それを踏まえて社是にも「全従業員の物心両面の幸せ」としたわけです。私自身が偉くなったり、財を築くために京セラはあったのでは無いのです。使う人と使われる人に分かれてしまうと思って今の社是に改め、新たに「人類社会の進歩発展に貢献する」と付け加えたのです。中の人間だけが幸せになればいい、とは思えなくなったのです。

 

ここで稲盛氏が言わんとしてる事を宇宙の法則に照らして考えてみたいと思います。宇宙の法則とは、出したものが返ってくる、これです。そしてマイナスのエネルギーを出したら誰かからマイナスのエネルギーをぶつけられるということです。自分がマイナスの行為を行えば、マイナスが返ってくるという仕組みです。宇宙の法則でのマイナスは、人から何かを奪う行為と私は理解しています。エネルギーもそうです。そして希望や夢、やる気、自信、信頼、こうした目に見えないものも、相手が奪われたと思ったらそれは奪う行為に、マイナスの行為になると思います。マイナスの行為を全くゼロにする事は不可能と思います。経済活動を行っているので、自分にはその意思がなくても、相手が奪われたと思ったらそれはマイナスの行為になり、自分にマイナスの結果が何らかの形で帰ってきて精算されると思います。同じようにプラスの意識を出してバランスをとることが人間として大切なのだと思っています。プラスの行為とはこれとは逆に、与える行為であり、相手がエネルギーが満たされた、自信や信頼、やる気、夢や希望、喜びなど心地よい、快と思うことを引き起こす行動をプラスの行為と捉えています。

ヨーロッパの原始的な資本主義についてお話がありました。私は歴史や経済制度を深く学んだわけでも研究してるわけでもありませんが、これまで自分がヨーロッパとか変わって考えたことをお話ししたいと思います。ヨーロッパは大陸でつながっていますので、古くから民族同士の争いや略奪、支配、征服関係が多くあったのだと思います。これは人から奪う行為であり、相手が少なくとも何かを奪われて怒りや悲しみや、悔しさ、辛さ、絶望感、こういったものを感じる出来事だったと思います。

このような思いや感情を相手に感じさせたら、同じ思いや感情を自分がすることになる。これが宇宙の法則です。資本主義の中で富を蓄えた人は、このように考えていたのかもしれません。いつ略奪や押収があって財産をなくすかわからない、外に出さずなるべく積み上げて安心なところに隠しておきたい。財産を奪われることが不安だ。奪われないように安全なところに置いておこう。そして取れるものはなるべくたくさん取れるうちに取っておこう。

この意識は、従業員の側に跳ね返っていきます。従業員の側も、奪われないようになるべく安全なところに自分の財産、富の源泉になるものを隠そう、このように考えます。そうすると、自分が売れる唯一のもの、労働力はなるべく少なく投じてなるべく多くの給料や福利厚生の結果等を受け取ろうとするわけです。稲盛氏がおっしゃる資本主義の基本的な構造というのはお互いが奪い合う行為であり、奪いあった結果、マイナスエネルギーのやりとりをしている縮図だと私には見えます。

ここを、プラスのエネルギー循環に変えていくのが経営ですよと稲盛氏はおっしゃっているように思います。プラスのエネルギーとは、与えあいお互いが満たされ、お互いがエネルギーがチャージされ、自分の存在意義を確認し、生きている喜びで満たされる、そのようなエネルギーの循環だと思います。このエネルギー循環の仕組みを作るには、まずそのトップの経営者が、相手にプラスのエネルギーを出していくことが大切だとそのようにおっしゃっているような気がします。信頼する、感謝する、役割をきちんと作る、相手の不安をなくしていく、それはあたかも父親や母親が家族のことを思う愛情に似ている、このように稲盛氏がおっしゃているように思います。稲盛氏は人生の方程式について、考え方のところが掛け算であるとおっしゃっています。私は同時に、このエネルギーの循環も掛け算、増幅されてるような気がします。マイナスのスパイラルが起こるところには、マイナスの結果(会社の業績)が多くなり、プラスのエネルギー循環が多いところは、その結果が何倍にも増幅されるような気がしています。

ですからこのエネルギーの循環がとても大切だと思うのです。そのポイントはやはり一番最初のところ、プラスのエネルギー循環の大元を作ることだと思います。周囲からどれほどのマイナスを向けられても、自分はプラスを出すことを意識する。そして自分のエネルギーチャージは自分で行い、自分を慈しむように相手を慈しむ、このような姿勢が、プラスのエネルギー循環を生んでいき、基本的な労使の問題を解決していくのではないか、稲盛氏が発しているメッセージはこのようなことではないかと思いました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。