母親とは不仲、父親と仲が悪い、それって自分のこと、と思ったあなた、親との不仲が解消すると、あなたの幸せの扉1つ開いていきますよ。あなたに幸せを呼び込む、ラッキーチャーム、ユキーナ ・サントスです。

今あなたの周りのストレスの原因も、実は親との不仲が根っこにあるのかもしれません。
相談してみませんか?

カウンセリングやってます!

弊社はたびたび、スタッフの方とビジネスフィロソフィーについて、一緒に学び語り合うという機会を作っています。

今日はこうした勉強会の中で、私がはっと気付かされたできごとをお話ししたいと思います。

もうダメだと思った時が、仕事の始まり、成功するまであきらめない、

という内容があります。

今日一緒に学んだスタッフの方が、小学生の時のプールの授業で、自分だけ25メートル泳げないのは嫌だと思って、何とか一生懸命やって、25メートル足をつかないで泳げるようになった、その時の達成感のことを今、思い出した、と話してくれました。

この話を聞きながら、私は自分の過去のスイミング時代や水泳部の時代のことを思い出していました。

最初はなかなか嫌なスイミングでしたが、友達もできると楽しくなってきて、級が上がっていくのも楽しくなって、小学校の間はずっと続きました。

そしてふと思ったのですが、なぜ私はスイミングをやっていたのか、どうして私はスイミングを習わせてもらっていたのか…これを考えました。

そして同時に、母のこんな言葉も思い出しました。

もし日本が沈没しても、お前はアメリカに泳いでいける。

どこで、どんなタイミングでそう言われたのかわからないのですが、母からこう言われた、というのが私の記憶にあるのです。

今から30年ぐらい前でしょうか、日本沈没というドラマが流行し、日曜の夜のゴールデンタイムに放映されていたと思います。毎週毎週日本のどこかで地震が起こり、日本列島がだんだん危うくなっていくというストーリーでした。その時の不安感や、絶望的な気持ちは、今もなんとなく覚えています。

家族全員で見ていましたから、おそらく母もそんな不安を心に抱いていたのかもしれません。そして、その時、嬉々としてスイミングに通っていた私に、お前はアメリカまで行って生き延びろとそんなことを言ったのかもしれません。

UMIというカウンセリング手法を通じて、だいぶブロックが緩んできましたが、私は親から愛されていない、私はやっぱり誰からも愛されない、という強いブロックがありました。

今では、当時の母の心理状況や父の心理状況がよくわかりますが、昔はわからず、母親に甘えた事は無い、母親が自分の成長を楽しみにするはずはない、自分の将来をポジティブに考えるはずはない、と思っていたのです。

でも、この日本沈没のことを考えると、そうではなかったのじゃないかと思うのです。おそらく本気で、母は私に、海を越えて生き延びて欲しいと思っていたのでしょう。そこには母の愛があったのです。

そしてそこから20年も経って、私は実際にはるばる海を渡って、アメリカに行くことになるのです。

おそらく、海を越えて生き延びると言うこと、これが私の潜在意識の中に染み込んでいたのでしょう。

そして、母がよく「第一のコース、トミヅカさん。。。」と言って、スイミングの進級試験のアナウンスをしていたのを思い出しました。

母は娘の習い事には、忙しくてほとんど来れなかった、と思っていましたが、進級試験の時などは、おそらく見に来ていたのでしょう。そしてプールの上の観覧席から、よし、これなら日本が沈没しても、アメリカまで泳いでいける、生き延びてくれる、と思っていたのでしょう。

思いがけず、母の心を見たような気がしました。

時々、真栄田岬の近くの静かなビーチに行ってシュノーケリングをします。ゆっくりと波に漂って、泳ぎができて良かったなと思います。私が海で泳ぐことができるのも、こうした母の思いと動機付けがあったからだと思います。不思議な縁に感謝した日でした。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。