特につけているわけでもないのに、また宝石を買ってしまった?そう持っていたら息を吐くあなた、あなたの心のプレシャスストーン探しませんか?心のストーンポリッシャー、 ユキーナ ・サントスです。

今ここで「すてるわけにはいかない」という言葉にザワザワたら、相談してみませんか?

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今日は、財産についてお話ししたいと思います。

ものにとらわれると、自由に動けなくなる、自由をうしなう、ということです。

最初はちょっと笑える話から。

私の実家は、私のおじいちゃんが立ち上げた商売をやっていました。おじいちゃんは自転車をやったり、駄菓子屋をやったり、何度か商売を変えましたが、最後はガソリンスタンドをやっていました。私の父はこのガソリンスタンドを引き継いだのです。ガソリンスタンドの裏に私たちの自宅がありました。この自宅の1階は倉庫になっていて、大きな大きな黒い金庫がありました。とっても頑丈な金庫です。昔の商店では、お店の奥にだいたいこのような大きくてごつい、一筋縄ではいかないような金庫があったのです。

この番号は父親だけが知っていました。子供たちが大きくなって、それぞれが孫を連れてくるようになった時、孫たちの大きな関心はこの巨大な金庫でした。私の父の葬式の後に姉妹たちとこの金庫について話し合うことがありました。
姉曰く「孫たちは誰でも1度はおじいちゃんに頼んで、金庫を開けてもらっている。その中を見せてもらっている」と言うのです。
おじいちゃんも、かわいい孫にせがまれると嫌と言えないでしょう、「しょうがないなぁ…」と言いながらダイヤルをカチャカチャ動かして金庫を開けにかかったらしい。「おじいちゃん。。。どんなお宝が入っているのかな?小判かな?お金かな?指輪とか時計が入ってるのかな?」大きなワクワク感に包まれて、ワクワクしながら孫がその金庫の中を見ると…
「 何が入っていたの?」私の姉が姉の娘に聞いたそうです。
「・・あのねママ、かんだあとのちり紙が入っていたよ。。。」娘はがっかりと言う顔で、落胆してこのように母親である私の姉に話したそうです。
「あとね、1円玉が少しかな・・」

姉も私も爆笑です。父親の性格がよくわかるので、この光景が目に浮かんでしまいました。父親は、くだらない、どうでもいいものをたくさん取っておく趣味があります。ゴミ箱の前を通ったらいろいろなものゴミを「まだ使えるよ」と言って拾ってウチの粗大ゴミを増やしていました。金庫には何を入れていいのかわからなかったのではないでしょうか?金庫に入れるものを整理しながら、大切なものを出してしまっていて、そしてどうでもいいものを無意識のうちに入れていたのではないでしょうか?

私と姉は大笑いして、この話を聞きました。この話はブラジル人の私の夫に話したら、同じように大笑いしていました。
「お父さん、とても面白いベイ!!」(ベイは主人の出身地の方言でつける接尾辞です)

この間抜けな私の父も、人生の大切な教訓を教えてくれています。そもそも、金庫に残すものなど人生にはいらないのではないかということです

グローバル的な例をお話しましょう。世界的な宝石商、特にダイヤモンドの販売は、ユダヤ人が広く手がけていると言われています。ユダヤ人がなぜダイヤモンド商人になったかというとこのような話があります。ナチスや、異民族など突然、誰かの略奪に会うかもしれない。今日はこの街で暮らせても明日はここに住めないかもしれない。その時にほんのひとかたまりの宝石をさっと洋服の中に隠し、すぐに逃げることができるから、だから彼らは宝石商をやっているというのです。小さくて、持ち運びができて、世界中ある一定の価値が確保されるもの、ということでダイヤモンド等の宝石の商売をするようになったらしいです。

それでも、財産の形にして持っていると、いつかは必ず没収されてしまいます。そこで、彼らは没収できない形にして財産を持つということに気がついてわけです。それはお金を儲けるための知恵であったり、教育であったり、語学の才能であったり、身につけた能力になっているのです。こうしたものはお金をかけて身に付けても、奪うことはできないのです。そこから、Jewish mother というと猛烈な教育ママの代名詞として使われるのです。

さらに、合気道の教訓もお話しします。身に付けたもの、自分の主張しているもの、これは結局は、そのものに振り回されることになる。持っているものに執着したら、それに振り回されることになる。ものに振り回されると、自然の物の見方、自然の考え方、自然に沿って生きるということができなくなる。簡単なことが難しくなってくる。手のひらの中にたくさんのものをつかんでいたら、開くことができない。開かなければ次のものが入ってこないじゃないか? 山口先生はこのようにおっしゃいます。

確かにそうかもしれません。

人は裸で生まれて裸で死んでいくのです。ものに振り回されないようにする、これはとても大切だと思います。

最近のブログでも書いていますが、沖縄まったり生活がDNAや潜在意識に染み込んできたようです。私が一番嫌いなこと、それは自由を奪われることだと身に染みてわかってきました。6月の末から、突然家の中の断捨離を始めています。2年間全然断捨離をしてなかったので、毎日毎日1部分ずつパートを決めて、そのものを半分以下に減らすようにしています。どういうわけか断捨離に目覚めたのも、ものに心を奪われると、自由に動けない、これだからではないかなと思いました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。